ニュース一覧

最新の予定

「T-over人権教育研究所・人権こども塾」これからの予定です。

参加をご希望の方はご連絡ください。

私どもが伝えられる機会も残り僅かとなってきました。思いを同じくする方々、これからの時代を担う若い皆さんの参加をお待ちしています。

 

【2026年8月】

■8月19日(水) 箱まわし伝承教室 13:30~15:30 東みよし町中央公民館

■8月23日(日) 人権こども塾特別⑤「石川早智子さんを囲む会」 11:00~13:00 リーベフラウ

■8月26~28日(水~金) 林力さん102生誕祭 福岡県

■8月下旬 国連NGO横浜国際人権センター月刊誌 「語るかたるトーク」 発刊

 

【2026年9月】

■9月20日(日) 人権こども塾第8講「夏のふりかえりとこれから」   13:30~16:30 徳島県教育会館

■9月下旬 国連NGO横浜国際人権センター月刊誌「語るかたるトーク」発刊

 

【2026年10月】

■10月11日(日) 人権こども塾第9講「未定」 13:30~16:30 徳島県教育会館

■10月下旬 国連NGO横浜国際人権センター月刊誌「語るかたるトーク」発刊

 

【2026年11月】

■11月1日(日) 人権こども塾第10講「未定」 13:30~16:30 徳島県教育会館

■11月21日(土) 人権こども塾第11講「未定」 13:30~16:30 徳島県教育会館

■11月下旬 国連NGO横浜国際人権センター月刊誌「語るかたるトーク」発刊

 

【2026年12月】

■12月12日(土)または20日(日) 人権こども塾第12講「未定」  13:30~16:30 徳島県教育会館

■12月下旬 国連NGO横浜国際人権センター月刊誌「語るかたるトーク」発刊

2026年08月14日

今月の1冊

本の苦手な私が読めた(書いた)本を、毎月1冊紹介するコーナーです。

主には人権に関わりがある本ですが、読みやすい本です。

よければ手に取って扉を開いてみてください。読み終わればまた翌月。

2026年08月01日

アルミ缶回収ありがとうございました!No18

【アルミ缶回収ご協力いただいた方々】 ありがとうございました !(^^)!

18 7月18日(土) T-overクルー 中山敏見さん

17 7月17日(金) 佐那河内村 笠原敦子さん

16 7月17日(金) 板野中卒業生 分部(佐野)いずみさん

15 7月17日(金) 城北高卒業生 志摩重美さん

14 7月16日(木) T-overクルー 村井江都子さん

13 7月15日(水) 城北高卒業生 八田不動産さん

12 7月14日(火) 神山町 笠原弘巳さん

11 7月14日(火) 前千松小校長 中野勝邦さん

10 7月14日(火) 虹の橋葵ホスピタルのみなさん

9 7月13日(月) 城北高卒業生 出口美代さん

8 7月13日(月) 城北高卒業生 天部由香里さん

7 7月13日(月) 美容室GANKO 藤原安紀子さん

6 7月12日(日) 人権こども塾 宇都宮さん、東城さん

5 7月11日(土) 八万町 嵯峨山佳子さん

4 6月30日(火) 虹の橋葵ホスピタルのみなさん

3 6月28日(日) 東みよし町 高橋千奈美さん

2 6月26日(金) T-overクルー 下山博美さん

1 6月16日(火) 虹の橋葵ホスピタルのみなさん

 

人権こども塾5期第3講で告知したように、お隣の英会話教室Sallyさんに通う高校生たちがフィリピンに短期留学し、スラム街の子どもたちへの支援活動をしようとしています。その際、食料・経済支援として、アルミ缶回収で得たお金を役立てようとしています。これはまさに、SDGsにおける「生きた学び」です。T-overとしても全面的にバックアップしていきたいと思います。

 

アルミ缶回収の期間は7月19日までで、ご協力いただける方に届けて頂いたり、回収に伺おうと思っています。どうぞ  こちら  または、吉成(090-1577-3552)までご連絡ください。随時こちらに記録していこうと思います。一人10缶でも、10人が集めれば100缶です!

 

ちなみに無理して飲んだり、無理して買わないでくださいね! また違法回収もダメです!

 

そのうえで、どこまで広げられるか、どこまで集められるか。一人でコツコツ集めることもできますが、友達と集める、家族と協力して集める、部活で声をかけて集める、クラスで呼びかけて集める、声をかけた人がまた別の誰かに声をかける。。。その行動一つ一つすべてが、SGDsの意識を高めることになるし、フィリピンをはじめとする遠くの出来事を、ギューッと身近な問題へと変えてくれるのです。これは自分を変える、私たちの挑戦です!!

2026年07月19日

反差別研修・狭山現地調査 6/13~14

2026年6月12日夜、13人が乗り込んだマイクロバスが、埼玉県狭山市へと出発しました。

途中時間調整に、朝の世界文化遺産忍野八海に立ち寄ります。富士山の伏流水が湧き出る、何とも綺麗に透き通った底まで見えてしまうような池。せっかくあるお店が、まだ一つも開いてなかったのが残念。。。

散策している最中に分かったこと。

今回、いつものメンバーに交じり若い顔ぶれが3人。そのうち2人は石川早智子さんの後輩。残る1人は、我が教え子!なんと!昔話に花が咲く咲く。

実はしたかったんですよねー、これを。狭山の会に行くと、どうしても高齢化が進み年配の方が多い。でも本当に知らせたいのは若者。だから教え子を連れた参加したかったんです。おかげで平均年齢がさがりました。

現地に着いて早智子さんの歓迎を受けます。

事務所に入り、一雄さんにお線香。昨年拝見した写真の左隣に、新しいおしゃれな笑顔の写真が一つ。何とも言えない少年のような笑顔。まるでフォーク時代の歌手であったかのような写真。

早智子さんがおっしゃってました。

「この笑顔はいい。他にも笑ってる写真はあるけど、どれもどこかに陰がある。けどこの写真だけはそういうのがまったくない。本当にうれしくて楽しそうで。一雄さんはしたかったんですよ、ギターの演奏が。差別でそれどころではなかった。だから余計にうれしかったんでしょうね」

事務所を出て、富士見集会所へと向かいます。

約1時間の研修。現地の参加者3人も含めて、まずは全員の自己紹介。

そして、早智子さんと安田さんからお話。

以前狭山の情宣に行っていたとき、「私、知ってます」と言ってきた方がおられた。

「私が小学3年生のとき、4年生の石川さんが私の教室で座っていた。それをみんなで笑ったら、石川さんは教室を飛び出していった。狭山事件で石川さんの写真を見つけたとき、それを思い出して涙が止まらなかった」

これが、学校に行けてなかった何よりの証拠。進級の情報すら入ってなかったということ。その教育歴を裁判所にも知ってほしい。

一雄さんは、小3から父親の仕事の手伝いで草むしりばかりしていた。たまに学校に行けても、分からないから居眠りするしかない。昼になればみんなはお弁当。でも一雄さんたちにはそれがないから、教室を飛び出し、近所の神社で遊んで学校に戻っていた。いったい学校の先生たちは何をしていたのかと思う。居ても居ない存在として扱われていたのではなかったか。

近くの就職先に採用されに行くと、紙が配られたが、字が書けなかったために自転車で家に帰り、お兄さんに書いてもらって急いで戻った。が、すでに審査は終わっていた。そのうえ他の受験生の前で、字が書けないことを言われ、恥ずかしい思いをした。

私(吉成)が決定的に狭山事件の裁判官を疑ったのは、この筆跡です。仕事柄か、私は人の字を見ることが多かったのです。それはどこで教員をしていようと同じではないでしょうか。字はまるで指紋のような特徴があり、変わることはないし、誰の字とも一致しません。そのことを仕事柄実感していたのです。「そんな単純な理屈が、どうして司法試験を突破したぐらいの裁判官が理解できないのか」不思議でなりませんでした。実際、筆跡鑑定については専門家も実証しています。

引き続いて安田さんから、「7月中旬にある三者協議で、弁護団がプレゼンテーションをする。それを受けて新しい前田裁判長が証人尋問をするかどうかが大きなカギだ」と述べられました。証人尋問のなかでも、大きな争点は3点です。

①筆跡・脅迫状の鑑定人、②万年筆の鑑定人、③自白についての鑑定人

続いて全員で、現地を歩いて回りました。

当時お祭りが行われていた荒神社。ここを女子高生を連れて歩いたことになっています。が、1000人もの人々がいたにもかかわらず、誰一人石川さんを見たという人はいません。

今も広がるのどかな畑。当時のままです。が、今は住宅地となっているその先は、当時雑木林でした。この見通しの良い農道を、女子高生を連れて歩いたことになっているのですが、その姿を見た人も誰もいません。

そしてその先にあった雑木林、現在は住宅地になっていますが、ここで女子高生を殺害したことになっています。女子高生は悲鳴をあげたとも。しかし、このすぐそばで農作業をしていたという男性は、「何も聞こえなかった」と証言しています。

どうしてこのような矛盾だらけの状況証拠が裁定されるのか、本当に不思議でなりません。

「次の世も 生まれし我は 此のムラに 兄弟姉妹と 差別根絶」

「生まれたくてこんなところに生まれたわけじゃない」と言う人もいます。でも一雄さんはまったく違う。

「次もここで生まれたい」 なぜそう言えるのか。

そこにはあたたかい家族がいて、たとえ差別はあったとしても、それを乗り越えていく大きな目標を共に持つことができる。そんな思いがあったからでないかと思います。

早智子さんは言います。

「焦りや不安のあった62年だっと思います。それでも一雄さんは、「私にはあたたかい支援者がいる。幸せ者だ」と言っていた。私もそう思える人でありたい。そういう人になりたい」

早智子さんもそうですが、一雄さんもまた、自分がどう生きるかを問い続けてこられたし、それは私たちにも問われていることのように思います。

物質的には恵まれているのでしょう。でも、それとは違った価値観で自分の人生や生き方を選ぶことを、お二人は教えてくれているのではないでしょうか。

今回も学びの深い狭山現調となりました。引き続き、三者協議に注目しましょう。そしてよければ、来年、狭山に一緒に行きましょう。

一雄さんとの最後の写真(2024年)
2026年06月17日

全国交流会2026 inびわこ

2026年5月14日から15日にかけて、滋賀県で開催された国連NGO横浜国際人権センターの「全国交流会2026 inびわこ」に行ってきました。

全国から50人ほどが集まり、本当に懐かしい顔ぶれがあふれて、いたるところに笑顔、笑顔、笑顔でした。

 

まずは事務局の山口敏樹さんの進行で、江嶋修作さんからのお話。

江嶋さんからはいつもの江嶋節で、杉藤会長との京都での出会いについて。そこに宿る志や思い。会長の力になってほしい、とのあいさつがありました。

 

そして、杉藤旬亮会長から。

正しい認識を持ってほしいと、行政に働きかけをしたり、当たり前のことを言ってきた。糾弾に至るようなこともあった。しかし逆に睨まれることも。「部落の人は特権意識を持っている」「それはどういうことか?」「少数者の問題なんだからー」 被差別部落の問題について啓発していかないといけない、と思い続けてきたのが、人権移動教室。30年にわたり、3165校で行ってきた。子どもたちは感じたままをスナオに反応し、感想を書いてくれる。そんな子どもたちからエネルギーをもらっている。そんな活動にスポットが当てられないかと、ギネスへの挑戦を考えている。とにかく、皆さんとともに仲間として前進していきたい。

お話のあと、横浜、山梨、長野、三重、徳島、愛媛、高知、兵庫、鳥取、滋賀と、全国から集まった方々が自己紹介をするのですが、これが長い(笑)。

せっかく久しぶりに全国から集まれたのだからと、全員から一人一言(?)を語っていくのですが、これだけで2時間近く。皆さん伝えたい思い、語りたい思いに溢れてるし、それを通じてつながり合うことを再確認したかったのだと思います。

そして夜は夜で、「カメチク」という焼肉屋さんで大宴会をしたのですが、これが恐ろしく美味い!史上最高のお肉、近江牛を用意していただき、ほっぺたが落ちました。

人は美味しいものを食べると、どうしたって笑顔になる。笑顔になって、知らない人との会話も弾む。その時間の共有が、一生モノの財産になる。

隣に座られたスタイリストの人見さんとのお話は特に印象深く、都会の若者の置かれた生活環境の切実さを実感し、今のこの国が進んでいる教育の方向性を真剣に検討していかなければならないと思わされました。

あー、もっと徳島からも連れて一緒に来たい。このお肉を食べてもらいたい。知らない人と出会い、話をしてほしい。本当に心からそう思えた時間でした。

翌日は、近江八幡にある水郷めぐりを体験しました。

琵琶湖に至る手前の水郷を、手こぎ船やエンジン船でめぐるツアーです。これがまた風情があっていい。この時は手こぎ船だったのですが、だから静かに、なめらかに、水面をすべるように進んでいくのです。

船頭さんいわく、「天候によっては風の強い日や雨の日もあって、風の日はなかなか進まなかったり、水しぶきが飛んでくる日もあったり。雨の日は透明シートをさげるので景色が見えなかったりもします。今日は本当にいいお天気。」なのだそうです。

本当に昔の、エンジンがなかった頃の手こぎ船での川漁を想起させてくれます。時間がゆったりと進む、今の社会とは違う、人間が人間らしく過ごせていた頃があったのでしょう。

そんな時間を子ども時代に過ごすこと。私たちも取り戻し、思い出すこと。そんなのんびりした時間の必要性を感じた体験でした。お弁当、美味しかったです。至福のひとときでした。

そして最後に、参加者全員で集合写真。

高齢者とサポート要員の会のようでもあり、なんか面白くて、でも素敵な集団でした。また会いたい面々です。

でも、あまりにももったいない。人権をテーマに生きていきたい人ならば、ぜひ出会ってほしい方々です。徳島からも興味ある仲間は連れて参加したい。そして出会っておいて欲しい。それが必ず、次のステップになるから。

自分もまだ何かやれることがあるはず。まだまだこれから!そう思えるはずです。だから、ここには、未来がある。

最後に会長さんと記念写真を撮らせていただきました。横浜に行った時にはお邪魔をし、いつもお世話になるのですが、本当にすごい人。

この日の朝にホテルのロビーでいるところにたまたま出くわし、いろんな話をお聞きしたのですが、まるで「生きる歴史証人」。

生まれは釜山。日本に帰って京都で過ごす日々。小学校だけで6回の転校。10歳、福山市でいたときに目撃した、運ばれてくる原爆被害者の惨状。福岡で見た炭鉱のボタ山。それらのことを、こと細かく、丁寧に語ってくださる話につい引き込まれ、「次は、次は」と、離れ難い心情になります。

91歳ですよ。見えますか? 本当にスーパーマンです。また会いたい。そして話を聞きたい。いつまでも聞いていたい。そんな思いになる杉藤会長。そのためにも、とにかくいつまでも、お元気で。そして、次またどこかで、いろんな話を聞かせてください。。。

2026年05月16日

退職いたしました

3月31日をもちまして、私吉成は38年の教員人生に幕を降ろしました。

ということで、12年勤めた板野中学校時代の子どもたちがお祝いの席を設けてくれたので、遅ればせながらレポートします。

 

4月4日、板野中勤務時代初期の5世代や、当時の先生方が集まってくれました。

各世代ごとの自己紹介や話から始まっていきます。暗くなった夕方、体育館裏に中3生5人に呼び出されたときの話も…(笑)。若いって素晴らしい!

遠いところから泊をしてまで来てくださったり、私よりも年上でも現場で踏ん張っていたり、今年から校長先生に就任したりとそれぞれで、もはや何の会か分かりません。(笑)

飲み会も中盤にさしかかり、私も時間をいただきました。

とにかく世界を変えたい、日本を変えたい、教育を変えたいということ。

連続12年板野中で勤めたあと、13年勤めた応神中で育まれた、人のつながりを大事にしてくれる親子たちとの出会い。

たった1年の勤めにもかかわらず、今も幼子を連れて訪ねてくれる地元城西中の子たちとの出会い。

大学院で2年間、「全体学習・みんなで語り合う人権学習」についての有効性と手法について研究論文としてまとめている最中、元板野中生から送られてきた当時の貴重な思い。

8年勤めた八万中で、唯一継続して3年間取り組むことのできた子どもが言った、「人権学習は人と関わることが好きになる学習」。

そしてどこにいても、やろうとすると湧き起こる抵抗・ブレーキ・ストップ。それとの闘い。

 

前年の鳴門市人権地域フォーラムでのHさんの発言も見てもらいました。当時を思い出してもらうためにも、現在地を知ってもらうためにも。周りに人権学習はなくなっても、人権侵害はあり続けているということを。

そしてつい先日、Hさんが、夫婦そろって退職祝いに来てくださったことも報告できました。まだまだ立ち止まってなんかいられません。

 

気に入らないことがあると、すぐにディスる現代社会。ではなくて、対話することを諦めない体験を、この若いうちにしておくことの大切さ。年を重ねてからではなかなか取り返せない体験をしていたんだということ。

最後に、辞書の話をして終えました。

辞書の初めから最後まではなかなか読めない。人を知るということは、辞書の1ペーを読むようなもの。閉じて、また別のページ。閉じて、また別のページ。人を知るということはそういうもので、それを繰り返すうちに、手あかのついたよれよれの辞書そのものを愛おしく思う。読んでないページすら愛おしく思える。それは、人そのものを愛おしく思えるようなものでないかと。スマホの検索ではそうは思えないかもしれない。そこに何があるのか。捨てられない、放っておけない、裏切れない、そういった感情が在るから、愛おしさが生まれるのではないかと。それは別に、劇として演じるとか、当事者と出会うとか、体験的に学ぶとかでもいいのですが、とにかく「人を深く知る」ということを繰り返してきたのだと。だからあのときの体験は、今につながる重要な意味があったのだと思う、と話をさせていただきました。

数学教室に改装して思うことがありました。時計がない。

買おうかなと思っていたのですが、なぜか心がブレーキをかけていました。待て!と。この日まで待て、と。

不思議なものですね。プレゼントの箱を開けると、時計でした。木製のかわいらしい手作り時計。これを以心伝心というのでしょか。それが、HPに新たに加わった時計の画像です。その時計が、新たに時を刻み始めます。

私は自分のことを、バカで良かったなーと思っています。バカででもなければ、私はここまで続けてこられなかっただろうし、退職してまでも活動を続けようとは思わなかったのではないかと思うのです。

これまで何度も挫けそうというか、挫けたときがありました。本当に何度も何度も。。。ひとりで夜中に車を走らせたり、ひとりで自転車で走ったり、ひとりで山に登ったり。。。もう何もかも放り出してどこかに行ってしまえたら、と思うことも何度もありました。人は追いやられてしまうと、逃げ場所を求めるのだと思います。そういうものです。

それでも私は時間がたつと、戻ってきてしまうのです。もと居たところに。自分の原点に。そして考えるのです。どうしてやろうか……と。(笑) 少し賢ければ、そんなふうにはならないのかもしれません。でも私はバカだから、嫌なことは忘れるんですね。そして、自分の生きる道を探り始める。何度も繰り返してるのだから、少しは学習すればいいのですが、それができない。バカで良かったなーとつくづく思います。不幸なのは、それに付き合わされる側です。災難です。本当にごめんなさい、みなさん!m(__)m

先日、知り合いの教員から連絡がありました。今は何をしてるんですか?と。何もしてないよ、と送ると、じゃあ教職員研修と子どもへの講演を!と。ありがたいことです。

今後は数学教室や人権こども塾もありますが、呼ばれれば可能な限りどこにでも、研修会や講演会に出向けたらと思います。今の教育や社会の問題点について。明かされてない差別の現実について。そして、伝え合うこと、語り合うこと、対話すること、本当の意味で人と人がつながるということ、そこから生まれる主体性が学力も上げるということ、それがいじめや不登校を限りなくゼロに近づけるということ、語り合う人権学習のもつ可能性、人間のもつ無限の可能性について。

人間とは欲な生き物です。会いたい子たちはまだまだいます。板野中後期の子たち、応神中の子たち、八万中の子たち…はまだ早いかな。でも、あの子はどうしてるかな、あの子はどうだろう、いろんな顔が思い浮かびます。

 

翌日に電話がかかってきました。この会には来られてなかった子ですが、他の仲間も呼んで飲みに行きましょう!と。また楽しみが増えました。

でもそこでは必ずと言っていいくらい、部落問題、人権問題、教育問題が激論され、みんなが秘めていた思いが語られていくのです。そして、それぞれの現在地を知り、私はまた愕然とするのです。この日も、終わりが朝4時になったのはそのためです。

 

最後に、ここに集まる子たちが、こぞって人権こども塾へのカンパを差し出してくれました。私はこの子たちにつながる子たちを創り出していきたい。そして、いつか出会わせてみたい。そう思います。

どうやら退職しても終わりではないようです。(笑)

退職について、お花を贈ってくださったまみちゃん、ちよさん、せいくん夫妻。お祝いに駆けつけてくださったひろみちゃん夫妻。また心のこもったメッセージをくださった皆さん。この場をお借りして最大のお礼を申しあげます。本当にありがとうございました。

新たなスタートであり、頑張れとムチ打たれているようなので、まだまだやります!こんなところでは立ち止まってなんかいられませんからね!

これからもどうぞよろしくお願いします!m(__)m

2026年04月08日

石川さん 届け!思い!

もうすぐ3月11日が来ます。

東日本大震災が起きて15年ですが、3月11日にもう一つの意味ができました。

石川一雄さんが亡くなって、まもなく1年。

長いようで、あっという間の追悼の1年でした。

この1月、早智子さんから、この本をいただきました。

一雄さんが生前に詠んだ短歌40首。

どの短歌も、胸に迫ってきます。特に獄中で詠んだ短歌。

人が日常から引きはがされ隔絶されると、どんな毎日になるのか。

想像しようとしてもしきれない「片隅」が視界に入ってきます。

読んでいて胸が苦しくなりますが、それが事実なのでしょう。

今回、この機会に人権こども塾生に「石川一雄 短歌に託して」を読んでもらうことにしました。

そして励ましと連帯の意味を込めて、早智子さんにお手紙を書いて送ることにしました。

現状、身の周りに狭山事件のことを知る若者はいません。一雄さんや早智子さんのことが話せる中高生はいません。ですから私にとってこの中高生は、本当にかけがえのない未来への宝物です。

狭山事件を通じて早智子さんを身近に感じてもらい、遠くのことではなく、昔のことでもなく、今のこととして思いを分かち合い、共に歩み闘いたいと思います。

一人より二人、二人より三人、です。

大切なものは、「仲間の存在」です。

2026年03月07日

2026年スタート!

「差別、戦争、環境汚染とは、人間が持つマイナス欲に金(経済)という価値観を持ち込んだ政治的産物」

最近考えていることです。とはいえ多様性の時代。これも多様性の一つとして認めざるを得ないならば、その方向に社会的に偏りすぎていることが大きな問題です。そこに問題性があるならば、バランスをとるため、これとは異なる価値観軸が必要です。今、私が志向しているのはその方向です。

しかし現在の方向性は、長年かけて政治的に作り上げられた価値観です。容易に変えることはできません。しかしこのままでは、この国も、もしかすると人類も、破滅するしかないかもしれません。ここはそうならないための学びの場です。

「ない道はつくれ」

おこがましいながら、私の実感です。同じような思いを抱いて突き進んできた人は、これまでにもたくさんいたでしょう。道なき道を歩いたあとに、新たな道はできていくのだと思います。

 

「人権とは?」 よくある問いです。あなたはどう答えるでしょう。私もずっと考え続けてきましたし、調べもしました。辞書やネットなどに出てくるものを片っ端から読みもしました。でも、難しかったり、ピンとこなかったり。どれもしっくりこないのです。そこで参考にしているのが、杉藤会長(横浜国際人権センター)がおっしゃった言葉。

「人権とは、生命と幸せを守り大切にすること」

「本当にそうだろうか?」と、いろんな場面に当てはめるのですが、どれもしっくりくるのです。よく政治家は「国民の生命と財産を守る」と、口を揃えたように言います。よく似てます。「生命」は同じです。でも、「幸せ」と「財産」が違います。たった一つの違いですが、これが意外と、本当に大きいのです。

幸せの価値観は、人それぞれ違います。極端なことを言えば、人を傷つけることが幸せな人もいるかもしれません。その人のその価値観を守ることも人権かといえば、生命が守られてないから、それは人権とは言えません。じゃあ自分を傷つけることは許されるのかといえば、それも自分の生命が守られてないから、やはり人権とは言えません。

自他の生命と多様な幸せの価値観、その両方が大切に守られることが人権だというのです。

 

最近、「暗闇っていいな」と思うようになってきました。一見、暗闇と言えば、悪者のイメージが強いですが、明るいだけもどうかと思います。明るさの中で、明るさは感じられません。暗さがあるからこそ、明るさは感じられるのです。明るさは必要であり大切です。でも、だからといって、暗さは疎まれる存在ではないのです。

「そこに希望があれば、暗闇は怖くない」

希望が見えない暗闇だけの世界は怖いし、明るさばかりで陰のない世界は心もとないものです。闇から目を背けるのではなく、内なる闇としっかり向き合いつつ、希望を失うことのない人間になれればと思います。

 

今年、人権こども塾のある場面で、「ボクらは見えない糸でつながっている」と感じたことがありました。それは、「想いはここに置いてある」ということが実感できた瞬間でもありました。私には、そんなにたくさんのお金も、世間に認められるような地位や名誉もありません。ただ、発した言葉や思いが誰かの心の中に残るのなら、それが金や地位や名誉に勝る、自分の求めていたことかと思います。

 

人権こども塾は今春で5年めを迎えることになります。さらにパワーアップする気もしますし、しぼんでしまう気もします。人権に力を入れない今の教育の現状を思うとき、関心のある中高生が育っていないと感じるからです。やはり、教育です。肝心なのは教育のあり様です。

今年のT-over人権教育研究所・人権こども塾の活動計画です。

1.「人権こども塾5期生」の募集・開催
現4期生、2025年度生の期間も残り3カ月となりました。新規5期生、2026年度生の募集を始めます。今年も異次元の、何刀流もの、人権に根差した中高生を育てていきたいと思います。もちろん夏の一泊研修もします。秋の人権文化祭も復活です!

2.「T-over人権こども塾数学教室」の開設
いよいよ数学教室の開設です。といっても、生徒が来なくては開店休業。数学を学びながら、人権について学ぶ小中高生を育てていきたいと思います。なお塾生は、教室を無償で自由に利用できますので、どうぞご活用ください。

3.「鳴門市人権地域フォーラム」へのかかわり
昨年もそうでしたが、立場や年月を超えた出会いや学び合いがありました。様々な立場の大人同士が、大人とこども塾生が、共に学び合える貴重な場にしていければと思います。

4.国連NGO横浜国際人権センター月刊誌「語るかたるトーク」への寄稿
今年も、この1年の出来事やその時々の思いを記録として残していきながら、全国の多くの仲間に発信していきたいと思います。

5.「みんなで語り合う人権学習」の実践と啓発
私たちの基本理念です。様々な人権課題について「自分を語る」ことに、どれだけの可能性が秘められているか。これからもチャレンジしていきたいと思います。

6.「ライフ・ツーリズム」の開発と推進
瀬戸内を中心とした、人権にまつわる各所を巡る旅のネットワークを拡げていきたいと思います。みなさんも一緒に旅しませんか?

 

人権をベースにつながった多くの仲間と、おもしろいこと、楽しいことを共に分かち合える1年に、今年もできればと思います。立場を越えていつまでも!
本年も、どうぞよろしくお願いします。m(_ _)m

 

 

2026年01月01日

神戸の旅 2025.12.22

12月22日(月)、前日の結婚式の翌日、せっかくの機会にと、気になっていた神戸の3か所をめぐりました。

一つめは、神戸港震災メモリアルパーク。30年前の阪神淡路大震災のときに被災した港の一部を現存保存しているところです。

うちの両親も、直後に現地に来たとき、船が港に着岸できなかったと言っていました。

M7.3、死者6434人。詳しい様々な数が、この裏面に記されています。

これらの碑のすぐ海側にあるのが、これらの保存施設です。

2年前の能登半島地震では、海岸線が大きく隆起しました。地震とはそういうものなのだと思います。人工物の脆さではありますが、自然の力とはそういうものなのだと思います。

ちなみに、今回私が泊したのは、この左奥の山のようなホテルでした。

 

そして気になっていた場所の二つめは、歩いて5分くらいのところにある「戦没した船と海員の資料館」です。ちょっとここはビックリでした。というか、衝撃でした。今まで自分があまり認識できてなかったということに。

ここは、軍艦や戦艦といった船ではなく、戦争とは全く無縁だった商船や客船などの民間船が、国家総動員法によって国に接収され、船員とともに戦場に散った船や船員を弔う資料館です。

館内には、それこそ無数の船の絵や写真が飾られていました。それはまるで、船を「物」として見るのではなく、「遺影」として見るかのようでした。実際、展示書類には、船のことを「彼女たち」と表現しているものもあり、船乗りの、夫婦のような、家族のような、家のような絆が感じられました。

対馬丸についての展示もありました。今年特にトピックスのようなっていましたが、実は敵の潜水艦や飛行機によって沈められた船は、小型の船を含めて7,000隻以上もあり、対馬丸ものそのうちの1隻だったわけです。

沈没した船とともに戦死した乗組員は60,000人以上。そのうち14歳の若年船員は1,000人近いそうです。中2くらいの若者が、たかだか2~3カ月の訓練で、戦場に向かったというのです。この事実は、今の今まで知りませんでした。しかも彼らは兵隊ではありませんから軍事訓練を受けずして、船乗りというだけで戦地に送られています。そんなバカな話はありません。

そんな人たちや船は、今も海に眠ったままです。同じ海の仲間であるという仲間意識からか調査が行われ、遺骨の写真も撮られていました。

海軍が徴傭した船には漁船もありました。商船や客船では戦うことはできませんが、それは漁船も同じです。しかも小型です。それで何をしろというのか、と激しく憤りが込みあげます。

「私たちは船乗りであり、海を愛し、船を愛す人間であって、人殺しのために船乗りになったのではない」

激しく強い言葉に、無念さを感じます。

海はロマンです。夢であり、希望であり、未来です。そんな思いや憧れをもち、船乗りになった人も多くいたのではないでしょうか。船乗りでなくても、海にはロマンがあります。それを挫く戦争。散っていった無念の若い命。そんな事実はあまり知られていません。これはもっと知るべき事実です。強く強くそう感じました。

 

気になっていた場所の三つめは、そこから歩いて10分くらいの東遊園地にある、「1.17希望の灯り」に隣接する「慰霊と復興のモニュメント」です。

6,434人の方々があの震災で亡くなったのですが、そのうちの一人は、私の親戚の者です。被災した方の名前全員が刻まれているという話は聞いていましたが、確認したことはありませんでした。今回初めて訪れ、確かめることができました。思わず手を合わせ、今までの非礼を詫びました。

長い間ご無沙汰をして、申し訳ありませんでした。

今回結婚した教え子が中学生のとき、「私はお母さんのお腹にいたとき、あの地震の前日に神戸のホテルにいた」と発言したことを覚えています。そして翌日、そのホテルは倒壊。「もし1日違えば、私はここにこうしていなかった」と。

その子が30年の歳月を経て、神戸で結婚式を挙げるとは、何とも不思議な縁です。

にしても、幸せのおすそ分けをいただいたような、本当にステキな結婚式でした。感無量。。。

やはり「幸せ」であることです。笑顔であることです。そのためにも、それを阻害する差別や戦争などの人権侵害を根絶する取組は必要不可欠です。

神戸の街は、クリスマスでずいぶんと賑わっていました。そんな街を楽しみながら、こういった場所を訪れてみるのもいいのではないでしょうか。

この冬休みにいかがですか。特に1月17日に向けて神戸の街、いかがでしょうか。

2025年12月23日