八万中学校2年生第4回学年全体人権学習

2024年3月13日(水),八万中学校2年生第4回学年全体人権学習を行いました。

今回は,3学期に学習した「日本の人権獲得の歴史・近代」から,水平社にたずさわった人々について,また2月に全国放映されたNHK「Dearにっぽん」の「隠された“家族”」を視聴して,それらに登場する人々の生き様から,それぞれの家族にフォーカスして語り合うことをテーマにしました。

班員全員が立ち,発表したい人がする,という前回人権委員会から提案されたスタイルで授業を行うことを確認しました。

自分を語ること,仲間づくりをしていくことは,人権学習の基本であることを全体で確認して授業がはじまります。

発問1.部落であることを恥ずべきこととして生きることから立ち上がった水平社にかかわる人々の生き様を,今の自分と照らし合わせてどう思いますか。(発言一部抜粋)

各班の共有

日本初の人権宣言と言われる水平社宣言に,「人間を尊敬する事」「誇り得る人間」「人間を冒涜してはならぬ」「人の世に熱あれ,人間に光あれ」とあります。部落であることは本当に恥ずべきことか,恥ずかしいことか。そんな人たちの生き様と,今の自分を照らし合わせてどうか,発言を問いました。

1-②「水平社にかかわった人々は本当に勇気を出して乗り越えたんだなと尊敬した。今は昔ほど部落問題が多いわけではないがまだあるから,そこで自分が,部落など関係ないという意見が必要になってくると思う。また思うだけでなく,水平社の人々のように伝える行動が大事だと感じた。」

1-③「水平社の人々が,世間の目は部落は汚いだとか可哀そうだとか別のもので見ようとしたのに対して,水平社の人は同じ人間として見てほしいと思っていて,世論がどんなものでも自分たちが正しいと信じて進めるのはすごいと思いました。例えると,もし差別問題を右左に仮定したとすると,差別する方を右側と仮定して,もし自分が左側が正しいと分かっていても,他の人全員が右側に進んでしまったら,ボクも右側に進んでしまうと思います。それでも左側に進むことのできた水平社の人たちはすごいと思いました。」

1-④「自分と違って勇気ある行動と自分に誇りをもって,自分の先祖たちに誇りをもって,そして自分の生まれた地に誇りをもつ気持ちにすごいなって思いました。私はこんな勇気ある行動ができないから,自分が恥ずかしいと思います。だから小さなことから勇気を出せるようにしていきたいです。また自分に誇りをもてるように,これからもいろんな人やいろんな場所からたくさんのことを学んでいきたいです。そして何も知らないまま人を傷つけるなんてことを絶対にしないように生きていきたいと思います。そしていつかは自分に自信がもてる人になりたいです。」

1-⑤「質問の「部落であることを恥ずべきこととして生きることから立ち上がった水平社にかかわる人々の生き様を,今の自分と照らし合わせてどう思いますか。」っていう,今の自分と照らし合わせてっていうところから考えたんですけれども,私が小学3年生からずっと今まで吹奏楽をやってて。来年高校を決めたりするときに吹奏楽部に入るか,他の部活にチャレンジしてみるかっていうのを悩んどって。言ったら水平社の人々も今までの流れから変わっていくっていうところと,自分の環境というか,心境が重なって。でもどっちでもいいと思うんですよ。水平社に関しては変わった方がいいと思ったけど,こっちはどっちでもいいので,自分が自分の気持ちに向き合って,嘘をつかずに決めれたらいいなと思いました。」

1-⑥「ボクは周りと違うところは隠して生きてしまっています。でも本当の自分を知っている人こそ真の友達なのではないかと思います。言うには勇気もいるけど,頑張ってみることが大事だと思います。これからはできるだけ本当の自分を語り合えればいいなと思います。」

1-⑦「ボクは自分の気持ちに向き合って立ち上がった水平社の人たちは,自分の身がどうなってでも後世のために,自分が自分らしく生きるために立ち上がっていて,ボクはそんなふうにできるかと問うと,絶対にできるとは言い切れないので,まず自分は自分に厳しくして,謙虚に生きて,まず自分を中心に物事を考えないようにしたら,自分に嘘をつかずに本当の心と向き合って,水平社の人たちみたいに,他の人のために自分の気持ちを使って尽くすことができるんだなと思いました。」

「自分にはできない」「すごい」「勇気あるな」という他人事のような言葉もありましたが,一方で「後世のため」「本当の友達」という,身近に引き寄せるようなワードもありました。

そして,2月4日に全国放映されたNHK「Dearにっぽん「隠された“家族”」」についてふりかえります。

木村真三さんは20年程前に大叔父がハンセン病療養所にいたことを初めて父・房好さんから聞かされます。目の前にいる,故郷から引き剥がされた放射能被害を受けた人々。その姿は,ハンセン病差別と重なります。差別から家族を守り抜いた父・房好,隠され続けた大叔父の存在。それは隠す必要があることか,障がいがあることは恥じることか。そのことについて全体に問いました。

発問2.映像「父が隠した“家族”」を視聴して,どんな場面や言葉が印象に残りましたか。何を感じましたか。(発言一部抜粋)

各班の共有

2-②「私は,子は父の背中を見て育つというところに印象を受けました。私自身も親の背中を見て過ごしているなと実感しました。今も自分の周りで差別で苦しんでいる人がいるということを日ごろから考えて生活していきたいです。」

2-④「私が印象に残った言葉は,父は本当のことは隠していたというところです。父が家族にハンセン病の患者がいたことをずっと隠していたから,木村さんは差別をされずに生きていけたと言っていました。それを聞いたとき,とても複雑な気持ちになりました。でも父は自分の妻や息子を大切に思っていたから隠していたのかなと思いました。」

2-⑤「私が印象に残ったのは,ハンセン病が出た家は終わるという感じの言葉で,もし今の時代だったらコロナが出た家は終わるみたいなことと同じなのかなと思ったし,実際にコロナの差別も起こったので,また一歩間違えたら別の感染病とかがあったときに,酷い差別が起こるのと一緒なんじゃないかなと思いました。あともう一つ印象に残ったのが,自分事にしないといけないという言葉で,映像を観ているときに他の場所で起こったことと思って見たら,自分とはもうかかわりのなくなることだけど,そうやって見ずに,自分との共通点とかを探して自分事にできるように,これからも映像とかを観ようと思いました。」

2-⑥「私が心に残った場面は,木村さんのお父さんが,親族にハンセン病患者の方がいたことで結婚の反対があったり,日常でも生きずらそうにしていたことを話していたところです。家族に病人が出て悲しい時に,さらに周りから差別を受けた時代だったことがよく表されていて,とてもつらい気持ちになりました。そして,「お前,そがいなこと言うたら結婚させてもらえんかったやないか」という父の言葉に,家族一同が納得してしまったという場面も,すごく時代の背景を感じました。」

2-⑧「ボクは,ハンセン病というだけでなぜそこまで嫌われないといけないかと思いました。ハンセン病のいる人の家庭だから結婚を取り消されたっていうのは何故なのかなと思ったりしました。それでボクが考えたのが,みんなと同じじゃないといけないから差別されたのかなと思ったりしました。ですが普通に考えたら,なぜそこまでする必要があるのかなと想ったりしました。以上です。」

2-⑩「私は「父が隠した家族」を鑑賞して,その番組の主人公の木村さんがありとあらゆる人にいろいろな人に話を聞いたりするのが,私にはとても過酷な行動だと思いました。でも木村さん自身が家族の本当の姿を知りたいという好奇心が私の心に刺さって,私ももっと家族と向き合って話したり,知っていこうと思いました。」

複雑な心境。

みんなと同じでないといけないのか。みんなと同じにしないといけないと,自分を無理して合わせていないか。

「みんな違ってみんないい」ではなかったか。

みんなに問います。

3.本当に恥ずべきこととは何でしょうか。西光万吉さんや水平社の人々,木村真三さんや元ハンセン病患者の生き方を通して,あなた自身やあなたの家族について語ってみましょう。(発言一部抜粋)

各班で共有する前に,私の家族について話をさせてもらいました。うちの家族のなかにあり続けた部落差別に語らせてもらいました。価値観を押しつける両親について話をさせてもらいました。今の状況について話をさせてもらいました。

各班の共有

3-③「本当に恥ずべきことは,人を差別することだと思いました。ハンセン病にかかった人の家族や,部落で生まれた人と結婚したくないなど,何故生まれた場所や病気にかかった人がいるだけで差別するのが分りませんでした。自分の家族は別に平凡なんですが,もし自分の家族がハンセン病や部落に関係していて,もし周りに知られたら,どうなってしまうのかなと心配になりました。」

3-⑥「私は本当に恥ずべきことは自分を隠すことと,人を侮辱することだと思います。自分には発達障がいの症状を持っているいとこがいます。いじめを受けていた時期もあったそうです。私はそのいとこを守ることもできず,何もできなかったので,今でも後悔しています。だからそのときから自分は人を差別するような行動や言動をしないように気をつけています。また自分と違う考え方や性格,違うところを受け入れて,それを理解していきたいです。そして自分事としてとらえて,これからも人権学習に取り組んでいきたいです。」

3-⑧「私は今まで普通に接してきたのに,ハンセン病などの病気になって大きく環境が変わったときに,それが良くても悪くても対応が変わることが,本当に恥ずべき事だと思っています。私は木村さんや元ハンセン病患者の生き方を通して,強い心を持ち続けることが大事だと思いました。なぜなら家族がどんな状況になっても,決して見放したり,誰かを思ってだとしても,その人を隠すことがない世の中になるまで家族を守り続けたいからです。」

3-⑭「本当は言った方がいいのか言わん方がいいのか,迷ったんですけど,吉成先生の話を聞いて言おうと思って。父と母から聞いた話なんですけど。父が母の実家に結婚の挨拶に行ったとき,お昼の「よろしくお願いします」みたいなときは,「任せます」みたいな,そういういい感じの雰囲気で終わったらしいんですけど,夜になって私の母方の祖父と父が二人きりで話しているときに,本当は部落の人ではないのかと訊かれたことがあったらしくて,そういうのを訊いたらいけないのは分かってるんだけど,自分の娘を嫁がせるには,そういうのを知っておきたいと言ってたらしくて。それで父は,それに対して,「ボクは部落出身ではないです。親戚にも部落出身の人はいません」て伝えたのと一緒に,「母が部落出身であってもなくても,結婚したいという気持ちは変わりません」て言ったらしくて。そうやって言う父がすごい格好いいなって思ったのと,もしそこで父が部落出身だったら,私は生まれとんかなって凄い怖くなったし,そういう質問があったってことは,私が知らないだけで,身近に部落差別がまだ残っているっていうことを,凄い実感して恐くなりました。」

3-⑮「私にとって家族はよい家族だし,この家族に会えて幸せと思います。理由は,いつも美味しいご飯が食べれるし,旅行やお出かけに連れて行ってくれるからです。私はこの家族を大切にしたいと思いました。」

3-⑲「ボクの親も部落差別はアカンけど,部落の人とは結婚するなよって言ったところがおかしいなと思いました。」

3-⑳「私自身,部落がどういうものなのか,こうやって学んでなかったら,日常で差別があったとき,同じように差別してしまってると思って。家族で前話していたときに,親が差別的な発言をしてた時に,「それは違うんじゃない」って家族で話になったことがあって。本当に身近に差別ってあるんだなって思いました。」

恥ずべき命,隠される命などあるのだろうか。そんなものは,どこにもない。すべての命はみんな等しく尊い。「人間は尊敬すべきもの」という水平社宣言に返ってくるのではないでしょうか。

「恥でもないことを恥じるとき,本当の恥となる」という言葉を提示して,次の発問に入っていきました。

4.これまでの発問をふまえて聞きます。修学旅行で何を得ましたか。この1年間の自分はどうでしたか。あなたの夢は何ですか。(発言一部抜粋)

各班の共有

4-①「修学旅行で得たものは友達との絆とか思い出とか,戦争とか平和とかを学びました。この1年間は,学校での人権教育とか,日常からいろいろなことを学びました。いろいろな人からいろいろなことを伺い,また私からも話しました。それで分かったことは,当事者の言葉は強いということです。やっぱり実際に体験したからこその感情が言葉に強く表れていて,私もいろいろ感じるものがありました。苦しみがなくなることはないけど,少しでも和らげることができるような,分かち合えることができるような人になりたいです。」

4-②「修学旅行では様々なことを学びました。戦争のことや学んだことなど,いろいろと知りました。ガマに入ったとき私はちょっと怖いなという気持ちがありました。でも当時の人はもっともっと怖い思いをしていたと思います。それでも子どもたちを守っていた親たちは本当にすごいなと思いました。私は今特に夢はありません。でも人権学習を通して,差別やいじめなどを受けている子を少しでも守れる存在になりたいなと思いました。」

4-③「私は沖縄の修学旅行を通して,戦争について学ぶことができた。実際にガマに入ったり,当時の話を聞いたりして,戦争で起こった悲劇を知り,もう二度と起こしてはいけないものだと思った。けれど,ある意見では戦争はなくすことはできないといったものがあった。正直私はこの意見に賛成しているところもある。そのこともふまえて私が思うことは,戦争はなくならないから放っておくものではなく,少しでもなくなるに等しくなるように,まずは今回の学習で学んだ差別をなくしていこうと思った。私の夢は,しっかり自分の意見を出したり,間違ったことを正す勇気がある大人になることです。」

4-⑥「ボクの夢は,日本を代表するサッカー選手です。24歳から27歳の間に海外に出て,目標とするクラブで試合に出続けたいです。」

4-⑦「私には夢があります。それは何か言えないけど,部落などで人を差別することで,その部落の人々は自分の夢や生活を奪われたり,悪い場合は命を奪われたりしています。それほど怖いものはありません。人は自由に生きる権利があります。差別されて殺されるのは違うと思うので,見かけたら言っていこうと思いました。」

4-⑧「修学旅行で得たことは,戦争についてよく学べました。今私たちが送っているこの生活が当たり前じゃないことを再認識しました。戦争中は十分な食料がもらえず,安心して生活ができる家がないと思うと,私たちが送っているこの生活は,とても幸せなことなんだと思いました。人権集会で互いの意見を知り,自分が考えれていなかった意見を含めることができるこの機会を大事にしていきたいと思いました。」

濵谷4-⑬「みんな知ってるとは思うんですけども,先生は今年から先生になりました。去年までは大学生だったので,初めて皆さんに会ったんですけども,今の2年5組が先生が初めて持った担任のクラスですので,非常に愛情があります。皆さんが感じてるかは分からないですけども,めちゃくちゃ好きなんですよ。2-5が。ここにおる一桜くんとかね,よく注意はするんですけど。皆さんと1年間過ごしてきて,人権学習というものは凄いなと思いました。自分が中学生のときはあんまり人権学習を受けていなかったので,というかあんまり印象に残っていないので,吉成先生のもと人権学習に取り組んでいる皆さんの姿を見て,自分もやっていればよかったなと,すごい思っています。人権学習という場があるっていうのは,凄いいいことというか,当たり前ではないなと思うので,皆さんこの学びというのをどんどん生かしてほしいと思います。また先生も2年目,教師として2年目以降に生かしていきたいと思いますので,こういう場を見せてもらって凄い感謝をしていますので。皆さん凄いいい子どもたちだと思います。特に人権感覚とかも身につけて生活していると思うので,先生も負けじと頑張っていこうと思います。凄いいい場を見せてくれてありがとうございます。」

「差別は夢を奪う」その夢を奪われないために,水平社の人々は立ち上がります。

人権についての情報を,「入れず,語らず,自己完結」させるのではなく,「絶えず,入れる,語り合う」へと変えていくこと。そうしていくことが,真の人権意識を高めることになります。

「一時」の人権学習ではなく,「のど元過ぎれば」終わる人権学習でもなく,「当たり前」が当たり前ではなく,「燃え尽き」てしまう勉強でもなく,学び続けることを学んでいこうという私からの問いかけで,授業は終わりました。

人は冷めます。冷めても自分のなかで燃やし続けられるものを,それぞれのなかに持てるように,これからも学び続けてほしいと思います。

今回の授業についての「人権だより」20~23号は,「八万中」からPDFでご覧になってください。