八万中学校1年生第3回学年全体人権学習(12月6日)報告

12月6日、八万中学校1年生第3回の学年全体人権学習を行いました。

今回のテーマは、それまで取り組んできた防災学習の流れのまま、お家の人への被災ボランティアや被災の聞き取り、それに「二つのふるさと」という資料を通しての学年全体人権学習でした。

今回は特に、担任の先生からの提案もあり、クラスごとに整列して並ぶ、という形態から、クラスを解体して各クラスから1人ずつで6人の班をつくり活動をするという、班活動の時間をとるようにしました。

これが思いの外はまり、良かったのです。

学年全体のつながりを持つ意味では、意義ある取り組みのように思われます。

さて、どんな授業になったのか、どうぞご覧ください。

発問1.それぞれのクラスでしてきた学習について思ったこと,気づいたこと,考えたことについて語り合いましょう。また,お家の人から聞き取った災害や被災支援の経験などについて発表してください。(発言一部抜粋)

各班の共有

①「東日本大震災の映像を観て、徳島にもこの地震が来て、こんなことになるんだなと思ってゾッとしました。家の人に聞いた話なんですけど、オレの父さんはガス会社なんですけど、ガス会社で東日本大震災が起こってしばらくして波が引いたときに、ガスを復旧させなアカンじゃないですか。そのときにガス会社の選ばれた人が応援隊ってヤツでいかなアカンのですよ。そんなんがあるっていうのを親から聞いて知りました。」

②「東日本大震災では、震度7やマグニチュード9などの地震が起きて、東北の人たちも苦しい思いをしてきたと思うんですけど、自分たちはどんな思いをしてきたのか分からないので、こういう学習で学んで、今後の災害とかに備えていけたらいいと思いました。」

④「東日本大震災の津波が押し寄せている映像を観たときに、私はすごく怖いなと思いました。でも東北の人たちの方がもっと怖いと思うし、私はその体験をしたことがないので、そういう学習とかを学べて良かったと思いました。それで母から聴いた話なんですけど、私は東日本大震災の時に、当時は関西の滋賀県に住んでいたんですけど、震源地からだいぶ離れていたのに、結構揺れたと言っていました。ニュースで津波が押し寄せているところを見て、日本じゃないみたいだったと言っていたので、私もその母の話を聞いてさらに怖いなと思ったし、これからいつ地震とかの災害が起こるかも分からないので、しっかりと防災の対策とかをしていかないといけないと思いました。」

⑤「おばあちゃんから聞いた話なんですけど、東日本大震災の時に、緊急地震速報がテレビ見てたら流れてきて、津波とかの映像も映し出されるんですけど、さっき河野さんが言ってたようにおばあちゃんもすごい怖かったし、徳島やから離れとるけど、それでも映像とか見たら、もしかしたら、可能性はあんまりないけど徳島にもそういう津波が来てしまうんじゃないかと思って、めっちゃ怖かったと言っていました。」

⑥「私はお父さんから、東日本大震災のニュースを見た経験を聞いて、夕方のニュースをつけたら空港に津波が押し寄せてきている映像を見て、衝撃を受けて遠くの街のことやけど、恐怖を感じたって言ってました。私は災害を経験したことがないけど、自分がいつ同じ状況になってもおかしくはないと思いました。」

誰かの発表を引き継いで、発表をする。つながることの大切さを伝えました。

阪神淡路大震災、東日本大震災、釜石の奇跡、大川小学校の悲劇、フクシマ差別、熊本地震、異常気象が原因で起こっている災害について確認したうえで、人間が関わっている異常気象については、SDGsにつながるというお話をしました。

発問2.「二つのふるさと」の恵子は,結局どうしたと思いますか。あなたならどうしますか。(発言一部抜粋)

各班で共有

①「恵子さんは郡山の学校に進学したと思います。でもそれは、どっちが故郷とか決めたんじゃなくて、今いる友達との関係や、生活を続けることを決めたのだと思いました。私だったら双葉郡の子どもを受け入れる学校に行くかもしれないと思いました。理由は元々の生活を取り戻したいって思うかなと感じたからです。」

②「私は恵子さんは郡山市内の学校に通ったと思います。なぜならお母さんが最後に言っていた、どっちも大事な故郷だよっていう言葉が心に響いて浪江町の方の学校に行ったら、お母さん大変になるし、郡山市におったらお母さんもそんなに大変じゃないと思うし、どっちも大事な故郷やから、お母さんのためを思って郡山市内の学校に通ったと思います。」

③「恵子さんやったら、私の中では、恵子さんの姉と同じように父や母の反対を押し切って、故郷に近い場所に住むと思います。私やったら、なるべく初めの故郷に近いところと、2番目の故郷にも近いところにたぶん住むと思います。理由は自分のお父さんやお母さんとか身内の人はメチャ心配すると思うけど、どっちの故郷もたぶん私は好きやと思うし、遠いところにあんまり離れたくないからです。」

④「自分だったら南相馬市の出身地の近くに住みます。理由は被災地の近くに行くと自分の思いを忘れないようにできて、それで逃げないようにもできて、その迷った経験を発信していけると思ったからです。お母さんの言っていたことも、郡山に残る理由にもなるけど、南相馬市の出身地の近くに行くことで、郡山と南相馬市の二つの故郷と両立できるようにしていきたいと思うからです。」

⑤「恵子さんは郡山の高校に入学したと思います。だけど故郷についての悩みはうすれていたと思います。それはお母さんが生まれた場所や育った場所、今住んでいる場所のすべてが大事な故郷と言っていたからです。私も郡山の高校に入学すると思います。母の思いを尊重したいからです。やっぱり家族と離れるのは寂しいし悲しいからです。それに故郷だからという理由で無理に高校を選ばなくてもいいと私は思いました。」

我が事で捉えると、揺れて決められない。そんな思いが伝わってきました。

決めようにも決められない、身が引き裂かれるような思いで決断しなければならないという、悩ましい苦しい思いが伝わってきました。

差別やいじめは、非日常に起こる。そんな現実を考えると、日ごろから人権について考えないといけない。防災学習も人権学習だということを確認し、次の発問に。

発問3.自分にとって大切な人や場所と離れる,別れるとはどういうことだと思いますか。(発言一部抜粋)

班で共有

④「僕は大切な人や場所と別れることは、今までの自分から生まれ変わることだと思います。気持ちが生まれ変わっても、昔のことを考えると悲しい思いをする人がいるかもしれません。それほど新しい自分になるのは難しいし、中途半端になるかもしれないと思うし、心がくじけそうになるかもしれません。でもどこかで諦められるところが出てくるかもしれないので、そういうことはあまり無理をしない方がいいと思います。」

⑥「慣れてるところだからこそ、突然離れたらつらい気持ちにもなると思うけど、そこから近くにいなくなるだけで、必ず会える日はあるので、その日のために楽しい気持ちとかをたくさん持つっていうのが私はいいなと思いました。」

⑦「とても勇気のいることだと思います。大切な人や仲いい人がいるところっていうのは、コタツみたいに暖かくて抜け出しにくいところだと思うからです。でもそこを出ることで、新しい場所に行って得られるものもあると思うし、成長にもつながると思います。自分からそこから出て行った時は、自分で行っきょるけんそこまでつらいものではないと思うけど、恵子さんのように突然離れてしまったらとてもショックだし、とても悲しくて、つらいものだと思うので、それはあまり体験したことがないので分からないけど、そういうことがあったとしたら、他の楽しいこととかやりがいのあることを見つけて頑張っていけたらなと思います。」

⑩「私は大切なものと別れたり離れたりするときは、自分の中の一部もなくなった感じがして嫌だなと思いました。私は友達が転校したりひいおじいちゃんが亡くなったりして、大切な人と別れたりしたことはあるけど、そのときは自分の中の大切なことも失った感じがして、凄く悲しかったのを覚えています。」

⑪「自分にとって別れるということは、凄く悲しいことだと思います。今まで話していたり遊んでいた友達と急な事情で違うところに引っ越すとなったら、その友達とは別れることになるから、言葉に出来ないくらいつらいと思います。」

それぞれが感じる「別れ」。

この機会にと思い、拉致問題について紹介しました。横田めぐみさんのお父さん、滋さんは、地元八万小学校の出身です。11月15日に拉致されためぐみさんは、当時13歳だったそうです。いつか会える「別れ」ではありませんでした。

恵子さんも突然引き剥がされました。

ハンセン病元患者も同じです。映画「あん」のラストに、元患者の徳江さんが、「私たちは、私たちには、生きる意味があるのよ」と遺言を述べます。思うような人生が歩めなかった徳江さんにとって生きる意味はあったのでしょうか。

発問4.「生きる」とはどういうことだと思いますか。みなさんの周りの人はどんなふうに生きていますか。あなたはどう生きていますか。(発言一部抜粋)

班で共有

②「生きるということは、人によって価値観はまったく違うと思う。例えば生きるのが楽しいと思う人や、生きるのが嫌だと思ってる人がいると思う。世界には生きたくても生きられない人がいる。だから自分は、このもらった命を大切にしていきたいと思った。」

③「僕は生きるっていうことは、心を持つことだと思ってます。心を持ってない人は、ほとんどの人は心を持ってるんですけど、心を持ってない人はいないと思いますが、何か悪いことをしたりとか、何か犯罪を犯したり、何かいろいろ悪いことをしたりする人は心が生きてないと思います。だからこそ、心を生かして、心を死なせないように真剣に目を向けてしっかり考えていったらいいと思います。」

⑥「大木さんと一緒で私は生きるということは誰かの支えになることだと思います。理由は、私たちは母や父に支えられて生きているからです。また誰かの支えになれるように生きていこうと思いました。」

⑧「よく、自分の命は誰のものなのかっていうのがあるじゃないですか。自分の命は自分だけのもの側の意見にも、自分の命は他の人にとっても大切なもの側の意見にも私は共感できます。だから生きることも、人それぞれ考え方が分かれるものなのかなと思いました。自分は何のために生きているのか、どうやって自分の命があるのかと考えると、必ず同じ答えが出るとは限らないと思います。私は人の分だけ考えがあると思っています。だから私は自分の意見をはっきりと伝えて、他の人の意見に耳を傾ける。そして、満足できる生き方をしたいです。」

⑨「僕は生きるということは、どんな感情、楽しいや、悔しいから努力するって行動していくことだと思います。杉本さんの言っていた、犯罪をするのは心が悪いと言っていたけど、それも、悪いことをするのも生きている証拠だと思います。来代さんが言っていた、生きる選択をするっていう、その選択が間違っているだけだと思いました。」

⑫「私は命と向き合うことだと思います。私の周りの人は命を守るために生活しています。避難訓練だって同じで、それと同時に命の大事さを学んでいます。例えばすっごくつらいことがあって自殺しようかなと思ったとします。そのときって、生と死の狭間にいるわけですよね。そのときって、嫌でも命と向き合うと思うんですよ。だって、これが決まれば自分は生か死のどちらかなんだから。その向き合いで、例え最悪の結果になっても、その人が命と向き合った証だから、よく頑張ったなでいいと思います。それをふまえて私は、命と向き合うその瞬間まで、精一杯命を守っていきたいと思いました。

よく防災学習で、「自分の身は自分で守る」と言いますが、障がい者、高齢者、子ども、特別な支援が必要な人、は自分で自分の身を守れるでしょうか。

SDGsの学習をしたとき、「誰一人取り残さない」という理念について学習しました。この矛盾をどう解釈すればいいのか。

「命を見つめる」と言ってくれました。

今のクラス、どうでしょうか。ちゃんと命と向き合えてるでしょうか。誰一人取り残してませんか。つらい思いしている人はいませんか。悲しい思いさせてることはありませんか。

12月8日は太平洋戦争を始めた日。した側が忘れてはいけません。

年末年明け、再度ふり返って、いいクラスづくりにしていきましょう。残りわずかな時間を大切に過ごしていきましょう。

最後にこんな話をして、第3回の時間を閉じました。

3学期に、あらためて第4回を企画できればと思います。

今回の学習を、生徒感想を中心に記録した「人権だより」として10号から13号まで発行しました。どうぞご覧ください。

2022年12月06日