保護者への聞き取り「八万中学校1年生第4回学年全体人権学習(2月14日)」

今回の学習でご協力いただいた「保護者への聞き取り」内容や私見について記録にしてみました。

中学生の保護者が学生時代に受けた「同和教育・同和問題学習」の印象が、今どのように残っているのか。何かの参考になればと思います。

2023年2月14日(火)、八万中学校1年生第4回学年全体人権学習を行いました。

今回は「日本の人権獲得の歴史中世」に焦点を当てて、各クラスで取り組んだまとめの時間となりました。

今回も前回同様、6クラスから1人ずつの小グループを作っての横割り学習として、学年のつながりを深める試みをしました。

これまで行った3回のふりかえりをしたあと、それぞれのクラスで取り組んできた学習について報告することから始まりました。

発問1.それぞれのクラスでしてきた学習について思ったこと,気づいたこと,考えたことについて語り合いましょう。(発言一部抜粋)

各班の共有

①「学習してきて思ったこと、気づいたこと、考えたことは、部落の人々は悪いことをしていないのに、罪人のような扱いをされて、ケガレやエタなどのように言われて、とてもかわいそうで、どうにかできなかったんだろうかと思いました。また結婚することも、部落の人だと言ったら、すごく反対されたり、緑の血の子はほしくないなどと言われるなど、なぜそんなことを言われなければいけないのか分からないと思いました。」

②「この間、吉成先生が話していただいたように、日本文化は差別された人々によって構成されたものです。でも彼らにもそういものがあって、ちょっと違うかもしれませんけど、みなさんは錬金術師と言えばアニメをイメージするでしょうが、実際にあったものです。とある王様が、例えば違う物と違う物を組み合わせて、物を作れるということを利用して、金属を作れないかということを考えつきました。そこで錬金術師という職業をつくり、金を作らせようと努力させました。その過程で水酸化ナトリウムや塩酸などの素晴らしい物が出てきましたけど、しかし、金属を作るのに失敗した者は処刑されて死んでしまいました。僕たちの身の周りにもそういった暗い一面をもった文化があるのかもしれません。」

③「この勉強をして、ケガレという言葉が、僕はキーワードだと思いました。ケガレは、病気や感染が起こったとき、ケガレと言って不安を押しつけたのだと知りました。今過ごしているなかでも、ケガレみたいなものはあると思います。いじめは自分以下を求めたりするので、求めていないと不安な気持ちを押し当てている。これも、ケガレなどと似ているのではないかと思いました。だからこの生活で、不安というケガレをなくしていくためにも、まず原因を正しく知って、その原因から正しい行動をしていきたいと思いました。そのときに、噂や、何々らしいという言葉を信用しないということも大事なことだと思いました。以上です。」

④「部落差別に関する動画を見たときに、私は何も知らなかったんだなと思いました。動画の中で世間の人たちが言っていた言葉で、過去のことだと思っていたというのがありました。私も学ぶ前はそう思っていました。でも実際は現在も差別は続いていて、今も苦しい思いをしている人がいます。部落出身というだけで結婚を拒否されたり、デマの情報を流されたり、穢れていると言われたりして、本来得られていたはずの幸せが奪われてしまうのはとても残酷なことです。動画では、教育の場でも部落のことについてあまりふれてくれない、取りあげてくれないという声がありました。だから正しい情報を知るために、きちんと学ばなければいけないなと思いました。」

⑤「昔の人々のケガレという考え方は、すごくおかしいと思ったし、病気や災害が起きてすごく不安だったとしても、ケガレという考え方のもとで亡くなりかけている人を捨てたり、人を差別したりするのは絶対にいけないなと思いました。今も昔も④さんが言ったみたいに、いじめやケガレで犠牲になっているというか、悲しい思いをしてる人がいるのは何も変わってないと思いました。」

⑥「差別に関する動画を見て、革の加工をするやつがあったんですよね。それで差別というか、やりたくないことをやらせておいて差別されるのはどうかと思いました。一面だけを見てどうこう言うのはおかしいのかなと思いました。以上です。」

⑦「今と昔ではケガレという言葉の意味自体が全然違ったし、そのケガレによる差別や、それの罰で追放だったりケガレに値することをしてしまった場合、周りからの見方が変わるのが嫌だなと思いました。いつの時代になっても差別はなくならないし、考え方が違うだけで人間がしている差別の考え方は変わらないんだなと思いました。」

中世の差別についての学習をしてきたのですが、子どもたちからは早くも、「今もある部落差別」の話が出てきました。

「鹿苑日録」に書かれている、相国寺僧侶周麟の言葉を引用し、当時のことについて解説をしました。

「某、一心に屠家に生まれしを悲しむ」(又四郎)… 私は心から差別される家柄に生まれたことを悲しく思う。

「故に物の命は誓うてこれを断たず、又財宝は心してこれを貪らず」(又四郎)…だから、殺生はしないように、物欲はもたないようにしている。

そんな又四郎について周麟は思い、書き記します。

「私が思うに、又四郎こそ人である。今時の僧侶たちの行動は、彼に及ばない。慙愧慙愧(残念で恥ずかしい)」

また、龍安寺の石庭や、つくばいに記された「吾唯足知」についてふれながら、当時の山水河原者と言われた人たちの思想や生き方についてもふりかえりました。

そのうえで、次の発問です。

発問2.あなたが今,欲しいものは何ですか? あなたにとって大切なものとは何ですか? 龍安寺の石庭や「吾唯足知」,又四郎の生き様,考え方について,あなたはどう思いますか。(発言一部抜粋)

各班の共有

②「私が今欲しいものは、差別されていたり、過去に差別されていた人たちの気持ちを理解してあげられる心が欲しいです。私にとって今大切なものは、家族や友人などたくさんあるので、自分なりにその人たちの存在を大事にしながら、違う方にも目を向けて、差別されていたりいじめられている人たちの心に寄り添ってあげられるような人になりたいと思いました。」

③「私は今欲しいものがたくさんあります。でもそのほとんどが、お金がなかったら手に入れられないものだと思います。以前吉成先生に教室で、現代のみんなはお金に執着しすぎているという話をしてもらいました。いい高校に入って、そのままいい就職に就くのはどうして?と聞くと、ほとんどの人がお金を稼ぐためということ、最終的にお金のためにという考え方に行くという考え方は違うということについて語ってもらいました。このことについて私は、昔の人は労働、課せられた仕事の中で、技術とかを磨いて楽しみを見つけ出していたけれど、現代の人はお金のためにっていう、お金のために働くとかいう考え方になってきていて、昔とちょっと考え方が違ってきてるんじゃないかなと思いました。」

④「僕は今は時間が欲しいと思います。時間はお金のように買えなくて、自分で得られるものじゃないけど、唯一みんなに平等に与えられているものだと思います。又四郎にも平等に与えられていて、又四郎はその与えられた時間の中で、頑張って努力して庭師の技術を身につけたと知りました。又四郎のように限られた時間の中で頑張っているのだと分かると、今の自分も欲しいものばかりを求めるのじゃなくて、今の自分に何ができるのかというのを考えて努力するのが、欲しいものを得るのに一番近い方法じゃないかとも思いました。何でも限られた中で頑張るのが大切だと、さっきの発表でも今考えました。」

⑤「私が今欲しいものと聞かれて、特にパッと思い浮かぶのはありませんでした。これから生活していく中で、あぁこれが欲しいなとか、こういうものをもらったら嬉しいなと思うことはあると思うけど、そこまで思いつくものはなかったです。大切なものは家族や友人で、その人たちが傷ついたら、自分も傷つくし、悲しいなと思います。「吾唯足るを知る」というこの考えを、私も含めみんなもできたら、みんな幸せになると思います。でもこの考えを悪い方向から見たら、もうこれでいいやっていう、満足してしまって、そこで止まってしまうみたいな感じにもとれるので、もっといい方向にっていう向上心もなくなってしまうような気もします。又四郎の生き方は見習いたいです。なぜなら、自分がいじめられてもやり返さないし、殺生もせず物欲も持たないようにしていて、それができたらいじめは少なくなったり、みんな自分の状態に満足して他人と比べることもなくなるのかなと思いました。」

⑦「自分が欲しいものは、訴えられる勇気が欲しいなと思いました。又四郎たちのような部落の人たちのためにも、全世界に訴えられるような勇気が欲しいと思いました。また、又四郎はすごいと思いました。動物にも優しくしていて、これだけ悲しい思いをしているのに、物欲を持たないようにするなんて、僕はできないと思いました。」

⑨「さっき吉成先生が、差別とは命、物、お金を粗末に扱うことだと思うと言ってたんですけど、私は欲しいものがあったら、お金をすぐに使っちゃうし、物もあんまり大事に使えてないしで、大切に扱えてないので、そしたら私も差別に値してしまうのかなって思って、ちょっと深く考えることができて、これからの生活を見直すので、そういう話を聞けて良かったなと思いました。それで又四郎さんは殺生しないために、物欲は持たないようにしていると言っていました。差別される家柄に生まれて、思うように生活できず、いろいろなことがあったと思うのに、そういうようにしているのは本当にすごいことだなと思いました。私はこのようなことはできないと思います。又四郎さんの言葉を聞いた周麟さんが書いたように、又四郎さんこそ人であり、彼に及ぶことはできないなと思いました。」

⑩「たぶん欲しいところにお金って書いとる人が結構多いと思うんですけど、お金だけだったら何にもならなくて、お金と何かを交換するからお金が成り立つんであって、言えばお金ってただの銅とか、ただの紙じゃないですか。それを私たちが、これと交換する価値があるって思うことで、そのお金が成り立っとるけん、この世の中にお金が絶対に必要なんですよ。昔みたいに物々交換しよったらややこしいじゃないですか。これとこれはホンマに同じ価値なんかとか、いろいろあると思うので、それこそ今は電子マネーとかになっとるけど、やっぱりお金が欲しいっていうんじゃなくて、何かを得るためにお金が欲しいっていうんだったら、まだ分かるなって思います。だから、お金が欲しいっていう人が悪いわけじゃないけど、もうちょっと自分の欲しいものとかを明確にしてやった方がいいかなと思います。」

世の中は、物欲金欲、私利私欲にまみれています。私たち自身が、それに煽られているという自覚を持っていないと、安易に流されてしまうように感じます。

物欲金欲ではない、別な価値観にスポットを当てていた善阿弥や又四郎の生き方・考え方から、現代を生きる私たちも学ぶことはあるのではないでしょうか。

前週に行った合唱発表会を例に出して、人間関係の良いところに、素晴らしい歌声は生まれるというお話もさせてもらいました。翌月の今日は、3年生は卒業していない。翌々月の今日は、2年生として新入生を迎えている。だからそんな関係性を、残りわずかな日々の中でつくりあげていこう、と話しました。

発問3.中世の差別は,今どうなっているでしょうか。それぞれのお家で聞き取った内容について発表しましょう。またそのことを通して,「残りわずかとなった今のクラス」「これからの私たち」について語り合いましょう。(発言一部抜粋)

各班の共有

②「家の人から話を聞いたら、学生の頃に部落の話で、ケガレやエタなどの単語が出てきたと言っていました。また部落の話が多くてビックリしました。残り少ないこのクラスで喧嘩せずに、いじめはせずによく遊び、笑顔で終われるようにしたいと思いました。これからの私たちは、部落の出身など関係なくふれあい、助け合いながら生活していきたいと思いました。」

③「自分の家の人にも話を聞いたんですけど、その頃も人権の学習をしたらしいんですけど、そのときに、どこか他人事のように感じてしまっていたと思いますと言ってたので、差別とかをなくしていくには他人事と考えずに、一人ひとりが正しく理解することが大切だと思います。」

④「私のお母さんが大阪に住んでいたとき、差別や在日韓国人差別の問題が、まだ色濃く残っていた時代だったそうです。私のお母さんの親や学校の先生方たちにとってはもっとリアルタイムの問題だったと思っていて、指導も熱量も高く、内容も今より重いことが多かったかもしれませんと思っています。部落の人たちがなぜ差別を受けたのか、その生活や仕事の話を聞いたり、在日韓国人の文化や日本に来ることになった背景などを、一時教わったということです。まとめると、差別の根源は異質な文化や無知に対する、生き物・動物としての、いたって普通な拒絶反応であり、差別はダメだからダメではなく、知識を得ることによって自然と軽減できるものだということを知りました、とのことです。なので私も、差別はアカンけん、それはアカンよって言うんじゃなくて、これこれこういうことがあって、それはこういうことやけんアカンよって、ちゃんと知識をもって、ちゃんと理屈をもっていけたらなって、差別はダメだよって言っていけたらなって思います。」

⑦「中世の頃の差別はケガレていると言ってのけ者にしていたけど、それはまだ今も残っていると思います。動画で、部落出身というだけで結婚を認めてくれなかったと言っていました。家の人も部落差別のことについて学んだとき、結婚反対をはじめとした不当な扱いを受けていることを知ったそうです。またこのことを通して、残りわずかとなった今のクラスで、楽しんで暮らせるようにしたいです。互いの個性を知り合い認め合うことで、さらに仲が深まって、これからの生活を楽しめると思います。」

⑨「私は最近、親とこういう話をする時間がとれなかったので、昔親と話したことの意見とたぶん同じになるんですが。小学校の時に私のことを、偽善者面してうっといんじゃ死ねって言ってくる人がおったんですよ。たぶん1回しか言われたことないんですけど。そのことをお母さんに話したら、学校に言うとまではいかないけど、ちゃんとお母さんとか、その子と話し合って、問題が解決できた後に、お父さんとお母さんが言っていたことが、あなたのことを傷つけた人もおると思うけど、けど、そういう理由だけであんたがその子や人を傷つける理由にはならんけんなって言われて。自分はそれに言い返さんかったんですけど、言われたときに、あー確かにそうやなってなって。それで自分なりに出した結論が、別にうちのこと嫌いなんだったら嫌っとってくれてもいいけど、人に迷惑をかけるような暴言とかはあんまり吐かんとってくれたら嬉しいし、別に私もその人とはもう仲良くせんし。けど、その人が困っとったら助けたいなと思いました。」

⑩「親は部落差別とか、そういう人権の学習はあまりしなかったと言ってました。それで私が考えたのは、まだ今みたいに差別が完全に否定されてるわけではなくて、まだ昔だから残っていたので、あまり学習をしていなかったのかなと思いました。今のクラスは、差別とか嫌な目で見る人は周りにいないので、このままその状態が続くように、みんなで協力して残りの時間を過ごしていきたいと思いました。2年生になって違うクラスになったら、自分たちは差別的な目で見たり、人を勝手に偏見で決めつけたりしないように、そのなかでそういう雰囲気をつくっていけたらなと思いました。」

⑭「母から聞いた話です。母は同和教育の絶対の部分、絶対差別をなくさなければいけないという絶対が苦手だったと聞きました。差別の絶対が許されないなら、一瞬でも差別をする自分を否定することになってしまって、それが苦しくて恥ずかしいため、差別心を隠すようになるからというのが理由です。次も聞いた話で、その頃教わったことは正しいことだと思うけど、世の中には正しい答えがないことがたくさん存在する。そのことを大人になるにつれて学んだそうです。そこから考えたのは、答えのない差別を減らすのは難しいと思う。だけど答えが一つじゃない限り、方法もたくさんあると思います。その一つの方法として、まずすぐできる方法を考えると、自分の差別心に気づいて変えることが一番の近道じゃないかと、僕の中では思います。今吉成先生から学んだ、学びを続けるという言葉を聞く前までは、差別心をなくすために、1回考えを変えればいいと思ってたけど、学び続けるという言葉を聞いて、この多様な考えを、1個だけじゃなくていっぱい取り入れる。それをどんどん大人になっても続けることで、もっといい自分を築いていきたいと思いました。」

実に多くの、多様な保護者からの聞き取りがありました。おおむね、受けてきた学習は好意的に受けとめられていました。同和教育は伊達ではなかったということです。

その一方で、「まったく受けた記憶がない」といった回答が割とあったことも事実です。

「無知は差別を生む」

このことを考えると、大きなマイナスをゼロに近づけた今、私たちに問われていることは、ゼロにし、プラスに変えることができるか、ということではないでしょうか。これまで先人がしてきてくれた努力にあぐらをかくのではなく、次のステージにさらにステップアップできるかどうかが、現代に生きる私たちに問われているということです。

最後に、人権学習の神髄とは、「学び続けることを学ぶこと」と話をさせてもらいました。

立ち止まればそこで終わりです。人権学習は生徒のうちはあっても、生徒でなくなればなくなります。あとは、自ら学ぶという姿勢がなければ、アップデートはできていきません。しかし、時代は刻々と変化していきます。ということは、「学び続ける」ことを学んでおくことが必要だということです。

その学びをしていれば、日常「ケ」も、非日常「ケガレ」も、ハレの時も、生きてきます。そんな学びに変えていきましょう。そのことを自らに問い続けていくためにも、「自問自答」できる自分でありましょう、と話をして、この1年生の学年全体人権学習を終えました。

できることなら、2年生、3年生と続けていった結果、どんな中学生として成長できるのか、見てみたいものですが、そればかりは分かりません。

熱は冷めます。でも、冷めない熱を持った子どもたちがいることを、どこかで信じたいと思います。

2023年03月08日