聴いてきました 石川早智子さんの想い

1月29日(木)、県内で開かれた集会にあわせて開かれた「狭山事件を考える徳島の会」総会に参加してきました。以前は毎年、石川一雄さんと早智子さんが二人揃って参加されていたのですが、新型コロナ禍以降、体調に万全を期すため来徳されていませんでした。そして今回、残念ながら早智子さんだけの帰徳となりました。

早智子さんが会の冒頭、思いを込めて話し始めます。

「他では了解を得てから一雄さんの遺影を立てるのですが、ここでは何も言わず立たせてもらいます」

舞台のそばの机には、一雄さんの遺影。

31年7カ月の獄中生活。釈放されたのは56歳。苦しいはずであった人生を一雄さんは、「苦しかったけど、無駄な時間ではなかった」と言っていたと言います。それは獄中にもかかわらず、文字などいろんなことを学び、いろんな人と出会い、支援してくれる人がいたからだそうです。

だから彼は、とても明るく、よく笑っていた。周りが楽しくなったと。そして徳島が大好きだったとも。仮釈放後、徳島でした海水浴、剣山登山、BBQ、潮干狩り、その思い出のすべてが宝物だったと。

昨年3月11日10時31分、一雄さんは86歳で天国に旅立ちました。実に62年間の闘いでした。

早智子さんは言います。「一雄さんが亡くなったこの日この時刻は、1審で死刑判決が出された「3.11」、2審で無期懲役刑が出された「10.31」と重なる。これは一雄さんが、「忘れないで」との意思を込めて亡くなったメッセージではないか」と。

亡くなったあとすぐの4月4日、早智子さんが申立人となり、第4次再審を請求しました。これは今の再審法が、再審請求は親か直系の兄弟、妻子しかできないからです。ということは、一雄さんにとって早智子さんしかいない今、本当に最後の闘いでもあります。

とはいっても、袴田事件でも再審開始から判決まで10年かかりました。この時間はあまりにも長い。長すぎる。それは早智子さんの年齢を考えると、本当に厳しい。裁判所は直ちに「証人尋問を行う」こと。検察は「出された判決に決して文句を言わない」こと。そのためにも、再審法が改正されることがどうしても必要です。今回の選挙は、そのための選挙ともいえます。

亡くなる直前に詠んだ歌。「次の世も生まれし我は此のムラに 兄弟姉妹と差別根絶」 無罪になった暁には記念碑を立て、この歌を刻みたいとも。

毎年企画している埼玉への狭山現地調査を、今年は6月13日(土)に行います。マイクロバスを貸し切り、仲間内だけでの行程になりますが、皆さんもご一緒にいかがでしょう。早智子さんへの励ましや、自身の学び直しも込めて。

会が始まる前、早智子さんがそっと、座る私のところに置いてくれました。昨年10月31日に出版された「石川一雄 短歌に託して」。これから読んでみようと思います。。。合掌

 

 

2026年01月30日