4期特別②「広島平和祈念式典研修」

8月6日(水)、広島平和祈念式典などの平和学習に参加するため、前夜待機組が集まってきました。

千羽鶴の最後の制作です。合計、約三千羽が集まり、3つの「ほぼ千羽鶴」が完成しました!すごい!

深夜1時過ぎに徳島を出発し、レンタカーで高速道路を広島に向けてひた走ります。

途中のSAで、キン肉マンさんと記念撮影。(笑)

早朝、広島に到着。まだ薄暗いなか、早くも原爆ドーム前では大量の機動隊が、騒々しくも物々しい集会を取り囲んでいました。

そして本川小学校近くに車を停車し、テクテクと原爆の子の像へ。そして、3つの千羽鶴を奉納。そして、テレビ局からの取材。放映されたかどうかは分かりませんが、いい思い出になったでしょう。

原爆の子の像には、千羽鶴を奉納するスペースがあり、全国から寄せられたたくさんの多種多様な折り鶴が展示されています。その一つ一つを見るだけでも勉強になります。

この折り鶴のコーナーは、これまでに何度も心ない人によって火をつけられたことがありました。どうしてそんなことになるのか。全国の学校に、教員に、突きつけられています。

折り鶴奉納のあと、立入禁止区域以外を見て回りました。

「冷水サービス」は、熱中症対策でもありますが、もともとの意味は違います。当時被ばくして亡くなった多くの方々が、水を求めて防火水槽へ、川へと向かいました。私たちもひどい日焼けをしたら、水を求めますよね。同じです。そんな被爆者を悼んでの「冷水サービス」です。

平和記念資料館前の噴水もそうです。

ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ

峠三吉さんの詩碑です。「くずれぬへいわ」、「くずれた」んですね。

全国に広がる「被爆アオギリ」の原木です。徳島でも移植の輪が広がっています。

公園内の至る所にあるたくさんの記念碑。そのそれぞれに、深く重い意味があります。その一つ一つを見て学ぶことも、大切です。幼い子ども達と手を合わせることも、大切な平和の学びです。

そしていよいよ8時、平和祈念式典。

死没者名簿の奉納、献花に続いて、8:15 黙とう・平和の鐘です。

数万人が迎える静寂です。平和への思いの詰まった、厳粛なる静寂です。この瞬間を味わってもらいたくて、中高生を連れてきました。これは理屈ではありません。感じることです。

そして、広島市長の平和宣言、こども代表の平和の誓い。「ひろしま平和の歌」です。

1 雲白くたなびくところ 雲のはて東に西に  おお高くこだまひびけと 鐘は鳴る平和の鐘に  いまわれら雄々しく起ち その栄えここに興さん

2 波青くたゆとおところ 海のはて南に北に  おお遠く祈りとどけと 鐘は鳴る平和の鐘に  いまわれら試練を越えて その行手ここに仰がん

3 風清くかがやくところ 国のはて世界の友に  おお熱く想いかよえと 鐘は鳴る平和の鐘に  いまわれら手をさし伸べて その睦みここに歌わん

何度聴いても、涙が浮かびます。この明るい曲調。軽快なテンポと明るい曲調であるがゆえになお、被爆の重さ苦しさがより際立ちます。

「きのこ雲」ではなく、「雲白く」。「爆音」ではなく、「こだまひびけ」。「祈りとどけ」、「試練を越えて」、「熱く想いかよえ」、本当は決して軽快ではなく、明るくもない思いがあるのだということ。どこまでも果てない憎しみに、それでも「われら手をさし伸べて」、「世界の友」と自ら手を携え、「睦み歌わん」とするところに、真の決意を感じ、感服するのです。自分も思いを同じくせねば、と心新たにするのです。

式典のあと、原爆ドームへ。

そういえば、道々、政党の党首たちとすれ違いました。岸田さん、野田さん、玉木さん、あまりにも多くいすぎて分かりません! そういえば、村上信五さん?佐藤新さん?も、すれ違ったそうです。

原爆ドームで、ボランティアガイドさんを申し込み、短時間でしたがガイドしていただきました。

4人が座っているのは、イスではないんだそうです。ドームの柵内にある石と同じものが吹き飛んで、ここに来ていたのだそうです。

旧燃料会館、今はお土産屋さんのようになっていますが、その中にも、当時のままの遺構が残っていました。

平和祈念館には、8:15を示すモニュメントが。聴けば聴くほどに知らなかったことがたくさんあることが分かりました。本当に短時間で申し訳なかったのですが、最後は一緒に記念写真。

そして、あっと言う間に昼食。広島焼!

さっきは入れなかった平和祈念館に入り、そのまま平和記念資料館へ。。。

プロジェクションマップ。投下前の被爆地。投下直後の光。そして、火に包まれたヒロシマ。

そのとき着られていた衣服。食べられないまま瞬時に炭化してしまったお弁当。きょうだいで遊んでいた三輪車。

ここにすべてを載せることはできませんが、本当にたくさんの遺物が展示されています。けどそこに必ず人がいて、笑いがあって、笑顔があって、親しい家族がいて、朗らかで楽しい営みがあって。それが瞬時に、とてつもない形で奪われたわけです。それがもし自分なら、自分の大切な家族なら。。。

後になって被爆者が描いた絵画が、当時の写真とともにたくさん展示されていました。黒い雨を浴びたがために、飲まずにはいられなかったために、亡くなった方々。キノコ雲。あまりの熱線で、人の姿が焼き付いた壁。頭蓋骨の山。。。

見ていて途中で気分が悪くなっても仕方ないと思います。でもそれが、起きた事実。

8月6日は特にそうかもしれませんが、広い館内はすし詰めのようにいっぱい。大人もいますが、子どももたくさん。そして多くが外国の方々。それでも皆さん、悲痛な表情で、じりじりと歩みを進めながら、黙々と見ていきます。そうさせる事実が、ここにあります。

そんな一つ一つを、皆さんにも見てもらいたい。

これで終わりか、と窓を見たら、そこから一直線に見える、慰霊碑、ドーム。

廊下に置かれた「記載ノート」に、必死になって書いている外国の方。見てどんなことを思ったのでしょうか。

終わりではなく、まだ続く、資料館。本当に広く長いのです。それでも資料のまだ一部。本当はもっとたくさん、展示されてない遺品・遺物があるのです。

館の最後に、初めて見ました。ノーベル賞のメダル。

昨年のノーベル平和賞受賞の賞状とメダルが展示されていました。

思い、とどけ!

館を出て、ハチドリ舎へと向かいます。

ここは、安彦さんという若い女性が始めたカフェ。戦争や原爆を含め、世の中の様々な社会の問題に取り組むカフェです。

昨年ご一緒に行けなかったアウシュビッツにも、安彦さんは行かれててオンライン研修の動画を見た方もおいでると思います。

今日は、「6」のつく日ということで、ヒバクシャの方から直接お話を聞かせていただきました。特に鉄道について詳しいということで、当時路面電車はどうだったのか聴かせていただきました。

3日後には女子高生が路面電車を走らせたという話は聞いていましたが、どうしてそんなことになったのか、どんな状況だったのか、走らせることに問題はなかったのか、なぜ走らせることができたのか。いろんな方面から初めて聞く内容も含めて、たくさん聴くことができました。

修学旅行とかで語り部さんから話を聞くことはあっても、やはりどこかで、距離があります。でもここでは、目の前から聞くことができます。体温を感じることができたように思いました。高村さん、本当にありがとうございました。

今回、中高生を8月6日に連れてくることができました。これは私のこれまでの念願でした。

いつヒロシマの日に来ても、必ずいる、たくさんの制服。どこから来たんだろう?どうやって来たんだろう?学校の引率ではないだろうし?徳島では聞かない話だし。分からないけど、自分も徳島の子どもたちを連れてきたい。

そんな思いを背負ってか、女子はこの暑いなか、制服で参加してくれました。徳島からも学生が来たよ!って、亡きヒロシマの方々にも見てもらえたかと思います。この4人も、世界が、視野が広がったのではないかな。

それでも、これはごくごく一部。

私が何度も来てるのは、見切れていないことがたくさんあるからです。本川小学校だって、袋町小学校だって見に連れて行きたい。公園内の慰霊碑も案内して回りたいし、今回聞いた旧広島陸軍被服支廠だって、似島にだって、大久野島にだって連れて行きたい。そんなところはいっぱいあって、あとはそれぞれの宿題かもしれないけど、いろんな学びの場がたくさんあることを知ってほしいなと思います。だからこそ、繰り返し繰り返し、何度も何度も来るのです。USJもTDLもいいけど、ちゃんとここに来るのです。

深夜、早朝から丸々1日歩きっぱなし。しかも暑いなか、中高生たち本当によく学んでいました。送り出してくださった親御さん、本当にありがとうございました。そのご理解がなければ、このような企画は実現しません。そのお気持ちに、本当に心から感謝申しあげます。私の無理なわがままでした企画ですが、必ずや子どもたちに何かが残り、それぞれの成長につながっていくことを信じたいと思います。

次回人権こども塾は、明後日8月9日特別①「原爆朗読劇」です。

2025人権こども塾4期特別②広島平和記念式典研修参加者感想