八万中学校3年生第4回学年全体人権学習
2024年11月18日(月)、八万中学校3年第4回学年全体人権学習を行いました。
これまでの3年間の集大成です。生半可な気持ちで取り組んできたわけではありません。
初めのころの生徒たちはそうだったかもしれませんが、回を重ねるたびに、学年が進級しても繰り返されるこの学習に、次第に気持ちが入り込んできたように思います。
2学期に入り、就職差別や結婚差別問題に取り組み、弘瀬喜代さんの講演会にも臨みました。そのうえでの、今回の学年全体人権学習です。
今回の資料は「ふるさと」です。(資料「人権だより」18号は こちら から)
今回私から出された発問は一つだけです。
「ふるさと」のなかで自分に刺さった言葉を通して、大切な友へ、大切な家族へ、大切な故郷へ、自分のなかにある「思い出」を添えて言葉を贈りましょう。また、みんなの発言に言葉を返していきましょう。 自分が書いた文は自分のなかにあるものです。原稿は見なくても発表できます。今回は生きた言葉を届けてみましょう。いくつもあれば,何度でも。
中学3年生それぞれの思いを、授業記録からどうぞご覧になってください。
【各班の共有】
①「この詩の中で、「“これが私のふるさとです”と名のらせたい」という言葉が、一番刺さりました。この思いは、本当の自分を周りにさらけ出すようなことと近いと思います。周りの人にも知られたくないようなことはあると思うけど、そういう本当の自分をさらけ出せるような仲を深めていきたいなと思います。」
②「詩の中の「けもののような鋭さ」っていうところに一番衝撃を受けて。自分らがご飯を食べるとか寝るとか、肉食動物が草食動物を狩るとか、生活必要な最低限で差別されるっていうことを知って、それを隠すってことを覚えたってことで、すごい差別されているってことがひしひしと伝わってきたし、それでお父さんがそれを覚えたってことは、そのお父さんとか家族とかもずっと隠して生きてきたんだなと思って。そしたら最後の、子どもにはそういう思いをさせたくないってところが、そういう負の連鎖を断ち切る心だなと思って感動しました。」
③「僕も「けもののような鋭さで覚えた」っていう言葉が一番印象に残りました。小さなころからと詩の中にあって、多感な時期に幼児の頃から覚えたとあって、多感な時期に言葉を覚えるのに差別されてしまうから、自分の身を隠すことを覚えたというほど差別は身近にあったんだなっていうことを感じました。」
④「私が一番心に刺さった言葉は「縊死した友がいた」という言葉で、私が中学校で生活する中で、部活の友達が自分がつらいときとかに支えてくれて、自分と同じくらい部活の友達とか支えてくれた他の友達も大切なので、そういう人を失ったらつらいなと思いました。」
⑤「私は「胸張ってふるさとを名のらせたい」という言葉が心に残りました。私は今自分の家族を胸張って言いたいです。父は面白くてやさしくて、物知りで、分からなかったら私が理解するまでていねいに教えてくれる、責任感がある人です。姉は面倒見がよくて、私が産まれたときからずっとそばにいてくれて、支えてくれる人です。母は背が高くてとても怖いけど、面倒くさいと言いながら丁寧に仕事をする人です。家族全員がそろうと賑やかで、毎日が騒がしくなります。私はそんな家族が大好きです。なので、恥ずかしくていつも言えなかった日々の感謝を伝えたいです。」
家族像としてどんなイメージをもつのか、話をさせてもらいました。
また、「情けは人の為ならず」についても話させてもらいました。人はいじめられたら人をいじめてしまう。差別されたら差別をしてしまう。そんな弱さが人の中にはある。嫌な思いをしながらも、同じことをしてしまう弱さがある。逆に差別されて嫌だったからこそ自分は絶対にしないという生き方もある。だからこそ、人にやさしくすること。
「人はやさしくすると、人にやさしくされる」
巡り巡って自分に還ってくることを思うと、まず自分が人にやさしくあることと話させてもらいました。
⑥「「“これが私のふるさとです”と名のらせたい」という言葉が刺さりました。「“これが私のふるさとです”と名のらせたい」ということは、部落差別をなくしたいという意味とイコールの関係になっていると僕は思います。また「ふるさとをかくす」と、「これが私のふるさとです」が真逆の意味になっており、自分たちの住む部落への意識が変化したということを表していると思いました。国語の発表のようになりましたが、部落の人々はこのように、部落差別は駄目だと伝えているのです。生まれ育った場所が違うだけで差別されるなんておかしいと思います。僕たちがこのように人権集会をすることで、差別は駄目だという思いを広げることができ、差別意識はなくなると僕は思っています。」
⑦「「ふるさと」では別れ、「縊死した友がいた」という言葉が刺さりました。自分が生まれた場所を暴かれたら自殺してしまうほどの傷を受ける。他の人は何とも思ってなかったり、その人をからかうつもりでしていたとしても、暴かれた本人は致命傷を負う。その人にしか分からない、言えない心の気持ちがあるんだと思います。それを他の人が何も考えず、簡単に発言して傷つける。そんな世の中ではいけないと思いました。」
⑧「さっきOBくんが言っていた、その人にしか言えない心の気持ちがあるんだっていうことを聞いて、その気持ちが分からないと部落差別がなくせないと思うし、でもその気持ちを思うことは難しいけど、僕今まで何回も相手の気持ちに立って考えるのが大切って言ってきたんですけど、その相手の気持ちに立つってその人の、さっき言ってくれた言えない気持ちを分かると一緒だと思うんですけど、実際無茶苦茶難しいことだと思って。言葉で言っていてもなかなか、自分はいざ実践するとなるとなかなかできなくて。でもさっきSGくんが言ってくれたみたいに、こういう人権の場で、みんなで人権について語り合って部落差別をなくしていこうっていう意識を広めることとか、吉成先生みたいに部落差別の実際の場所に行って部落差別について学ぶとか、自分からいろいろ行動して知りに行こうとすることが、相手の気持ちに立ってわかる一番の方法じゃないかなと思って。だから僕もこれからは、こういう場を大切にしていきたいし、実際に自分から知りに行くっていうことを大切にしたいと思いました。」
⑨「さっきの吉成先生の、「情けは人の為ならず」の話を聞いて、最初、なぜ差別された人が差別するのだろうと思って。その理由を自分なりに一瞬考えてみたんですけど。そういう差別されて差別してしまう人って、どこかしら差別された自分も悪いなと思ってる節があると思うんですよ。だから自分が差別しても、相手にも悪い部分はあるんだって思ってしまうし、誰も悪くないのに悪さができてしまうっていう。差別された人も難しいけど、悪いかって言われたらそうでもない。差別するっていう部分もあるけど、絶対他にもいいところがあって。ほなけんそういう何も悪くないのに、悪さっていうのが出てきてしまうから、ちゃんと自分の悪い部分とか、そういう部分とかを自覚して、そこを他の部分で補っていくってことが大事なんじゃないかなと思いました。」
昨日観に行った映画、「拳と祈り」について紹介しました。観ていて、知らなかったことがいっぱいあったことに驚いたことも話させてもらいました。
丸岡忠雄さんのふるさとに行ったのもこの時期であったこと。やはり実際に自分からいろんな場に出向き、学ぶことの大切さについてお話しました。
⑩A教諭「最後なので先生も発表させてください。今日の発表のタイトルが、「ふるさとの中で自分に刺さった言葉を通して、大切な友へ、大切な家族へ、大切な故郷へ」というところだって。まず大切な故郷へっていうところなんですが、先生自身は徳島市の出身で、高校生まで徳島市で住んできて、大学生のときに県外に行って、県外に行った時に初めて、あぁ徳島ってええとこやなぁって気づいて、徳島で就職をしました。そのあとに、みんなにも話をしたんですけど、2年間アフリカに行ってて。アフリカにおるときも、あぁアフリカもええけど、やっぱり徳島市がええなぁと思って、今に至っています。やっぱり1回外に出たりだとか、失ったりすることによって、その大切さというのに改めて気づけるのかなっていうことに気づきました。故郷だけじゃなくて、例えば大切な家族においても、誰かが死んだりとか失ったときに、初めてその人の大切さとかに気づけていくのかなっていうところを感じています。本当は失う前に、やっぱりその大切さに気づいていかないといけないし、そのために行動とかもしていかないといけないんだけども、やっぱり自分の中では失ってから気づけるってことが多いのかなと感じていました。先生も八中に来て3年目。みんなと一緒なんですよね、八中に入ってきたのが。3年目でみんなと生活するのも、あと3カ月ぐらい。3カ月ぐらいなので、3カ月後にみんなと生活しなくなってから、あぁみんなのこと良かったなぁって思うのではなくて、今の残りの3カ月の間で、さらにみんなのいいところを見つけて、いい3年生だったなと思ってみんなには卒業してもらいたいなと思っております。今日ちょっと手の挙がりが少ないって吉成先生が言われとったんですけど、今先生が言ったように、故郷の詩を通してっていうことだったら発表がしにくいことがあるかもしれんけど、例えば今までお世話になった家族への思いを、さっきSBさんが言ってくれたみたいにみんなで共有したりだとか、いつも言えない友達にお礼の言葉を言ってみたりだとかいう場でもいいかなと個人的には思うので、最後の場なのでどんどんどんどん発表してくれたらなと思っております。以上です。」
⑪「人にやさしくするってどういうことなんだろうって考えたときに、やさしい人って捉え方は人それぞれだと思うんですけど、私は前来てくれた弘瀬喜代さんがすごいやさしい人だなと思います。人の立場になって考えるってすごい難しいことだと思うし、簡単にできることじゃないんですけど、弘瀬喜代さんは人の立場になって考えることもしてるんですけど、それだけじゃなくて、相手の立場になって、相手の差別されてつらかったっていう気持ちを自分事として捉えて、それを言葉とか行動とかにしっかり移すことができてて。そういう強い心をもった人がほんまにやさしい人なんだなと私は思うから、そういう人になりたいなと思ったし、そういう人が増えることで吉成先生がさっき言ってくれたように、やさしくしてやさしくされるっていう形も生まれるんじゃないかなと思いました。」
⑫「私は結婚式の詩で、「その空っぽの席の意味を 華やいだ式であるだけに」っていう言葉が刺さりました。私はこの言葉を家族に伝えたくて。私は昔から家族と一緒に車で徳島じゅうまわったり、旅行行ったり、山の中に入ったりしてたんですけど。今まで全然家族から部落差別のこととか聞いたことなくて。今まわった地域にはそういう地域があったんじゃないかなと思って。私が将来部落出身の人だとかと結婚するときに、そういうのをとやかく言わないでほしいなって思います。以上です。」
⑬「私は「瞳をあげ 何のためらいもなく“これが私のふるさとです”と名のらせたい」という言葉が一番刺さりました。「ふるさと」っていうタイトルを見て、2年生のときに福島の原発の、東日本大震災の事故の学習を思い出して。あの時もふるさとと自分の関係、ふるさとが自分にとってどんなものなのかっていうのを考えた時間だったと思うんですけど。みんな誰しもふるさとに誇りをもっているはずだし、ふるさとのことが好きでいるはずだから、それを自分と出身が同じじゃない人にも誇りに言えるような世界をつくっていきたいです。」
⑭「「お前には 胸張ってふるさとを名のらせたい」っていう言葉が心に残りました。この詩を見て昨年の夏に、吹奏楽部で徳島県が主催の音楽会に参加したことを思い出しました。最後の全体合奏の曲はこの詩と同じ題名の嵐の「ふるさと」でした。曲の歌詞には「ここはふるさと」と何度も繰り返されていました。その日会う人もたくさんいましたが、みんなふるさとは同じで、人生の途中でここに集まっているっていうことにとても感動しました。今まで学習してきた同和地区出身の方々も、自分のふるさとを大切に誇りをもっていましたが、それは私たちも同じであると気づきました。産まれた場所や育った場所に関係なく、それぞれのふるさとに思いを馳せる曲と詩から、ふるさとの大切さを感じました。」
私が思い描いていた展開になりました。
これまでの学びやこれまでの経験をふりかえり、それを「ふるさと」に重ねて思いを馳せられる展開です。
この学習の醍醐味はここにあります。
みんな馳せる思いは様々であり、多様です。その発想が、聞く者を引きつけるのだと思います。
自分にはなかった発想が、新たな気づきとして心に残っていくのです。
⑮「「ふるさと」の「胸張ってふるさとを名のらせたい」という詩が心に残りました。私は人権学習をするまで、部落差別のことは全然知らなかった現状があって。昔は部落差別がいっぱいあったと思うけど、今は格段に少なくなってると思います。それは部落差別された人たちが、差別に負けた弱い自分の心と闘って、自分と向き合って、部落差別はいけないという活動をしてきた人たちがいるからこそ、今はこんなに部落差別が減ったのかなと思います。だから今部落に生まれた人たちが胸を張っている人が増えたっていうのがとてもうれしいです。」
⑯「私は「“ふるさとをかくす”」っていう言葉が胸に刺さりました。私は徳島が好きだから、友が去ったり、許婚者がいなくなったりして、そういうエピソードがあったら、いくら徳島が好きでも父と同じように私も隠すと思いました。でもふるさとを裏切るというのはとても苦しいと思います。この地で育った楽しいこと、悲しいこと、友達と過ごした時間、家族との思い出をすべて裏切るのと同じことだから、とても苦しいと思いました。父も隠すのはつらかったと思います。だから、我が子にはそんな思いをさせたくないから、「“これが私のふるさとです”と名のらせたい」と思ったのかなと思いました。」
部落であろうとなかろうと、故郷は特別な場所でないでしょうか。
八万中学校のこと、徳島のことを悪く言われたら、同じように嫌ではないでしょうか。
東日本大震災の学習で学んだフクシマの人だって、ハンセン病の人だって、部落の人だって、私たちだって、それは同じではないでしょうか。
⑰「A先生の、離れたり失ってから大切なものに気づくっていう話を聞いて。先週の基礎学(力テスト)前日に、いつも私おばあちゃんちに1回帰ってから家に帰ってるんですけど。帰ったらおばあちゃんち誰もいなくて。どしたんかなと思って。そしたらおばあちゃんが慌てて家に帰ってきて。おじいちゃんが救急車で運ばれたって言ってて。おじいちゃん散歩好きなんですけど、こけて立てなくなって救急車で運ばれたみたいで。それ聞いたとき、おじいちゃんいけるんかなっていう心配ですごい不安になって。病院からいつ退院できるとかの話を聞くまですごい不安で。おじいちゃんは幸い命に別条とかはなくて、家に帰ってきて治療したら大丈夫っていうことになって安心したんですけど、そのときに、失う怖さっていうのを味わって。今まで伝えたかった感謝とか突然伝えれんようになるような恐怖を味わったので、これからは自分の周りの人にも、自分の家族にも、常に感謝を伝えれるようになりたいと思いました。」
⑱「私にはすごい大切な友達がいて、小学校のころからずっと仲良くしてもらってたんですけど、小っちゃい頃、すごいデリカシーのない言葉というか、すごい嫌らしい言葉みたいなことを結構言ってしまって。その子はそれを、何でそんなこと言うん、みたいな笑い話というか笑い飛ばしてくれたけど、今考えると本当に器広いし、すごいやさしいなと思って。人はやさしくすると人にやさしくされるっていうので、その子もいろんな子から、やさしいしいい子やなみたいなイメージもあるし。その子もコンプレックスとかもあるし。でもそういうのともその子は向き合って強くなれたから、人にそんなふうにやさしくできたのかなって思うと、私もその子みたいに自分の弱さと向き合って強くなりたいし、その友達に今までひどいこと言ってごめんねとか、許してくれてありがとうっていう言葉を伝えたいです。」
⑲「僕は「ふるさと」を読んで心に刺さったことは、「瞳をあげ 何のためらいもなく“これが私のふるさとです”と名のらせたい」という言葉です。この言葉から、自分が小さいころからふるさとのことで悩まされてきて、ずっと下を向いて生きてきたっていうつらい思いを自分の子どもにはさせたくなく、自分の子どもには胸張って自分のふるさとをみんなに言ってほしいっていう親の子に思う、自分と同じ思いをさせたくないっていうやさしい気持ちが表れているなと思いました。
⑳「私は「ふるさと」の資料を読んで、自分の心に刺さったのが、「吾子よ お前には 胸張ってふるさとを名のらせたい」という、丸岡さんが「吾子=我が子」に伝えたいようなことです。私は「ふるさと」を通して中学校生活をあらためて振り返ると、長いようで短かったような気がします。そして中学校生活のおよそ3年間に渡って学習してきた八中方式を使った人権学習で、私は最初の方は今のようにちゃんと発表とかはできてなくて。でもちゃんと拍手したり頷いてくれる同級生がいて、ここまで発表できるようになりました。そんな人権学習も今回で最後です。大切な友、大切な家族、それに大切な故郷に、めいっぱいのありがとうという言葉を持ち、故郷を出ることになっても、私の故郷はとても素晴らしい故郷だと伝えようと思います。ありがとうございました。」
ちゃんと丸岡さんの「ふるさと」、私たちのふるさとが重ねられました。
どの子も、すごく成長した気がします。みんなが成長していった2年半、3年間でした。
この人権学習の学びの中で、みんなが友達から学び、みんなが主体的に成長していったように思います。
資料自体も大事ですが、それよりもみんなの関係性、班やクラスの関係性がみんなを成長させていったような気がします。
㉑B教諭「皆さんの全体学習を1年生のときからずっとカメラで追ってます。今吉成先生もおっしゃってくれたけど、みんないい顔になったな。3年間でね。ファインダー越しに見てたらね、皆さんのその成長ぶりに驚かされます。よう学習積み重ねてきたと思います。あといらんことになりますが、私は皆さんのお父さんやお母さんの世代も八中で教えています。もう30年近くになるかな。八万中学校って今みんなが代表やけど、すごく八万中学校が成長した。変な言い方やけどね。またお父さんやお母さんに言っておいてください。キミたちの子ども世代、すごく成長したよってね。はい、いらんこと言いました。以上です。」
いつも写真を見る役得は、B先生と私くらいでした。
毎回100枚以上の写真を撮り続けてくださいました。それを毎回楽しく見ていました。
人権だよりに載せられるのはたかだか10数枚です。
載せられないから載せないだけで、載せたい写真はいっぱいあります。
㉒C教諭「私もA先生と似ているところがあって。大学は県外の方に、岡山の方に行って、徳島から離れた時間が4年間ありました。今では大学行ってよかったなと思ってるんですが、そのときは、もう早う徳島に帰りたい、戻りたい、高校のときの方が楽しかった、とかいうのを、各ライフステージで、小学校から中学校に上がったときは中学校で、小学校のときの方が楽しかったのにとか。高校に行ったら中学校がおもろかったな、戻りたいなとか。大学に行ったら高校の方がよかったとかいうのを言いながらここまできたんですが。気づいたことがあって、その今楽しいのに、その瞬間に気づけてないみたいな。過ぎてから、あのとき楽しかったな、あのとき一番だったなみたいなのがすごいあって。今はそれに気づけたので、今は今が一番楽しいなと思いながら生活ができてるんですが、やっぱりそれをみんなにも気づいてほしくて。時間を大切にしたりとか、岡山に行って自分が成長できて、全国各地に友達ができてっていう、人とか時間、時のつながりってみたいなものができて。こうやって今みんなに自信もって堂々と故郷のこと、徳島のこともそうだし、岡山に出ていって徳島のことも話したし、こっちに帰ってきて岡山ってこういうところだったって、みんなの前でいいところだったって言えるのは、こうやってみんなが聞いてくれるけんだと思うんですが。今この八万中学校3年生っていう小っちゃい社会の中では言えるけど、みんなが大人になったときでも、まだ先生方も生きていると思うので、みんなが成長した場所とか過ごした楽しい思い出のある故郷のことを話せない人間関係だったりとか、そういう世の中を打破していきたいというか、みんなで「そんなんはやめよう」って言えるような社会をつくっていきたいなっていうふうに、この「ふるさと」っていう詩を通してあらためて気づくことができたので。これからもっともっとたくさんいろんな出会いがみんなのことを待っているので、その出会いのなかでも、今学んでいることとか、今まで感じてきた楽しかったなとか、ふるさとのいいところとか、家族とか周りの人のいいところっていうのを、みんなが堂々と発信できるような世の中をつくるのは自分たちだと思うので、それを一緒に、先生も含めみんなでつくっていけたらなと思います。これでこの学習は終わりって。今日は節目として終わりって言われてるけど、これからみんなの中では生き続けてほしいし、これで終わらないでほしいと思います。ありがとうございました。」
㉓D教諭「ほんまにみんなよく勉強してくれているなと思います。私の話をちょっとさせてください。小学校と中学校のときに、木曜日が嫌だったんですね。みんな木曜日どうですか。5時間授業ですね。私が生徒のときから変わりません。何で私、木曜日が嫌だったかというと、私は放課後に学習会というところに行ってたんです。これは調べてもらったら、ちょっと勉強していったら分かると思うんですけど。私だけが行ってたわけじゃないんですよ。ある地域の子は行ってて、ある地域の子は行かないんです。だから学習会に行く地域と、そうでない地域っていうのがはっきり分かれてて、私は行く地域だったんですね。なので木曜日はすごい、みんな遊んびょんのにな、なんで行かなあかんのやろなっていうことで、すごい苦い、あまり自分にとってはいい思い出にはなってないです。正直なところを言うとね。あるとき人権学習を進めていく中で、昔の資料で、部落の人が山を越えて隣町に薪を取りに行くっていう資料があったんですね。なんか作業をしに行くっていう資料があったんです。私が小学生ぐらいのときに。そのときに、もうみんなは部落差別の勉強してるから分かってると思うけど、一つ100㎏ぐらいあるイスに使えるぐらい大きい石が3つあって、そのイスで休憩しておにぎりを、お昼とってたと。そうしてたら別の村の人が、お前ら部落の者が座った石はうちの村に置いておくなと言って持って帰らされたんですね。100㎏もある石を血だらけになって、骨がきしみながら3つ、大の大人が何人がかりもが抱えて持って帰ったっていう資料が、今で言う「わたしの願い」に載ってたんです。その石が今も祭られてる神社っていうのがあって、その神社は私の実家の真横です。だからやっぱり、この前の弘瀬さんの話もそうですし、当事者、他人事じゃないっていうことを、この立場になってキミたちに伝えてはきましたけど。やっぱり割と身近に、そういうふうな経験とか、私自身は差別や部落のことを学習する機会が小さいころから多かったので、自分なりには取り組んできたつもりですが、一つ言えるのは、やっぱり自分自身はあまり差別を受けたっていう認識はないんですよ。直接ね。直接部落差別を受けたっていう認識はなくて、それは何でかって言ったら、私の父や母や、じいちゃんやばあちゃんとか、地域の人、諸先輩方がそれと闘ってきたから、私にまで被害がきてないっていうだけなんですね。今も差別があるっていうことはみんな勉強して分かってると思うんですけど、私は守られてるって感じてます。昔の人が闘ってくれたから、私まで来なかったんだなっていう認識で、今だから私は今の立場があるので。キミたちにも一生懸命自分なりには人権学習とか道徳の勉強を発信していきたいなっていう思いはあるんですけど。ここまで吉成先生を中心に積み重ねてきた人権学習で初めてです。自分のこの話をするのは。なのでキミたちになら伝えてもいけるかなって思ったので、今日が集大成っていうことで話させてもらったので、やっぱり割と身近にそういうことがあるっていうのも知ってもらえて、これからも学び続けてくれたらなと思って、また頑張っていきましょう。終わります。」
思いのこもった大事なメッセージが最後に届けられました。
遠いことのように思いがちですが、実際自分の身近なところにあったんだと実感した感想文が、いくつも届けられました。
この思いは私自身が幾度となくしてきた経験でした。
意外な人物が当事者だった驚きと、繋がり合えたような思いになったよろこび。
その思いは、今もこの活動を続けられているエネルギーの原点でもあります。
とはいえ、部落差別がなくなったわけではありません。
小さくなったから、少なくなったからよしではありません。
ゼロでないということは、苦しむ人を残すということ。残していい苦しみではないはずです。
だから私は歩み続けていきたい。
今回、幾人もの先生方の声が聞けたことは大きな成果でした。生徒たちにとってもそれは、大切な要素だったと思います。
中学生活全般にわたって学年全体で取り組んでこられた人権学習。
これが子どもたちにとって何かの役に立っていくのか、何の役にも立たないのか、それは分かりません。
何かの役に立てばいいなと思います。
いや、役に立つときが来ない方がいいのかもしれませんが。
その「いつか」のときのための学習が、受験勉強とかいうちっぽけなものではなく、子どもたちのその後の人生に長きにわたって生き続けていけば、そこが私たちの「ふるさと」になるのだと思います。
今回の授業についての「人権だより19号~24号」は、「八万中」からPDFでご覧いただけます。

