3期第7講「夏季一泊研修・邑久光明園」7/28編

翌朝は6時過ぎに起床し、7時から朝食。部屋を片づけて、8時半に「しのびづか公園」に向かいます。

【しのびづか公園】昔は亡くなっても、町の火葬場は使用させてもらえませんでした。園内に火葬場が設けられ、同じ入所者の手によって火葬されていたのです。使用されなくなった跡地に「しのび塚」を作り、ご遺骨を納めています。また園内には49体の胎児等の標本が明らかになりました。ホルマリン漬けで保存されていました。人間不在、患者絶滅のハンセン病政策です。胎児等の鎮魂のため、2007年に遺骨を納めた「慰霊」の碑が建立され、毎年供養祭が行われています。

もし自分がその立場なら…。耐え難い歴史です。

邑久光明園に移動し、お話を聞きます。

まず、どうしてこの小さな島に、長島愛生園と邑久光明園があるのか?意外と知られていないこの疑問に答えてくれます。

かつて邑久光明園は、外島保養院という名で大阪にありましたが、昭和9年の室戸台風により壊滅してしまったのです。その4年後、光明園と名を改めてここに移転されてきたのが、邑久光明園です。

4つのグループに分かれて、入所者の方々からそれぞれお話を伺います。

私はエノモトさんからお話を伺いました。お話の大筋は、「ここはいいところ」と終始おっしゃるのですが、「昭和29年小学5年生で母親に連れてこられた」こと、「一時退所していたが、再入所するときは嫌だった」こと、「再入所のとき、職場の親しい人に住所も言えない、遊びに来てももらえないことがつらくて、つらくて」というお話を聞くと、やはり両面あることが伺え胸が苦しくなりました。

「ここは格子なき牢獄」「10年、20年遅い。こういう場や機会がもっと早くにあれば」最後の言葉が、胸を締めつけました。そうさせた責任は、私にもあるからです。

お話を伺ったあと、納骨堂にお参りをします。1996年のらい予防法廃止後に身内の方が遺骨を分骨して持ち帰ることもあるようですが、今もなお3200柱以上が納められているそうです。

このような療養所を退所して社会復帰した人もいるそうですが、多くはないそうです。家族に迷惑が及ぶことを心配して本名や戸籍を捨てた人もいるため、現在も故郷に帰ることなく、肉親との再会を果たせなかった人もいるそうです。亡くなった方の遺骨の多くは実家のお墓には入れず、こうした納骨堂で納められています。

他にもフィールドワークとして、二つの桟橋や旧裳掛小中学校第三分校(光明学園)も見学しました。

90年に及ぶ強制隔離政策によって受けた人権侵害に対し、国(行政)・国会(立法)・裁判所(司法)の三権を相手どり起こした裁判は、2001年全面勝訴となり、国の隔離政策を断罪し、国会の不作為までを問うものでした。とはいえ、90年という年月が帰ってくるわけではありません。。。

「いずれ日本に「ハンセン病の元患者」はいなくなります。しかし、偏見と差別が残るまま、我々の人権が侵されたままでは見過ごせない。そういう思いから、私たちが置かれた境遇を若い人たちに話す機会を大事にしています。つらい病気を経験する人はどの時代にもいます。でも、国の政策や法律によって悲惨な思いをするのは、私たちを最後にしてほしいのです。」

「私たちは高齢になり運動も限界にきています。生徒のみなさんに今後を託したいと強く念じています。」

「強く念じる」…「思います」ではなく、しかも、「強く」なわけです。

今回、この企画が実現できて本当に良かったと心から思います。やはり、実際に現場に行き、自分の眼で見て、耳で聴いて、五感で感じることの大切さを、中高生の表情から読み取ることができました。学校という枠では実現しにくい企画、実体験に基づく学びの大切さを、あらためて感じることができました。この子たちと出会えてよかったと、つくづく思います。

今回、本企画に乗ってくださった、保護者の皆さん、クルーの皆さん、本当にお世話になりました。長い道程を運転してくださったアドバイザーの中山さんも本当にありがとうございました。食材協力をしていただいた中山青果さん、肉元さん、ありがとうございました。本企画の提案をしてくださった木村真三さん、本当にありがとうございました。

けど、私たちの旅はここで終わったわけではありません。むしろ、これから辿るであろう長い長い道のりが少し見えはじめただけのことです。

次回は8月16日(金)の鳴門市人権地域フォーラムへの参加です。その後も、9月、10月、そして11月の「人権こども塾文化祭」へと続きます。

私たちの道のりは、これからです。

【塾生感想】

 私は今年からこども塾に参加しています。今回がこども塾のみんなと外に行っての初の学習でした。2日間でたくさん見たり、聞いたり、語ったりできました。2日間を通して印象に残っているのは、長島愛生園と邑久光明園の対応の違いです。愛生園は消毒風呂に入れさせられたり、食事が悪かったりしたとおっしゃっていたが、光明園では消毒風呂はなく、食事もそこまで悪くなかったとおっしゃっていて、比較をするとここまでも違いがあるのかと驚きました。中尾さんが、コロナでも似たことが起きている。隔離などでハンセン病の時と同じ扱いを受けている。こういうことは“二度と”起きてほしくないと強く訴えてくれました。2日目にお話ししてくださった大森さんは、26歳のとき邑久光明園に来たそうです。手の変形以外にあまり症状がなく、逆に園に来て周囲の入所者の人を見て驚いたので、地域の人等が驚いてもおかしくない。だけど、園内は行事などとても楽しく生活できていると、私たちが思っているほど厳しくないのだと思いました。だが大森さんの場合は、コロナワクチンを6回打ったとおっしゃってました。打ちたくはなかったけれど、打ってなくて周囲から打ってないから…と言われるのが嫌だったから打ったとおっしゃってました。大森さんいわく、「ハンセン病よりコロナの方がひどい」と言われてました。ハンセン病もコロナも両方に通じることは、知識がないから変に怖がって差別をしてしまうのではと私なりに考えました。コロナも今はある程度の知識がついているから、いたずらなどは初めのころより減りましたが、まだどこかには残っているのかなと思っています。“無知は恥”まさにそうだなと思います。
 1日目の夜、カレーを食べ終わってからいつもだと一緒に過ごすことのない時間に、語り合いを全員でしました。自分もなかなか口に出すことのできなかった両親の病気のことを語ってすっきりしました。その後もお風呂をすませ、吉成、森口先生、高校生たちと、なぜ先生になったのか…などなど語りました。日付をまたいで話すことがなかなかないというかないので、たくさんゆっくり語れて、自分も中学校教員に向けてもっともっと頑張らなくてはと思いました。この研修を通して、私の将来の夢のビジョンに少し追加されました。それは、「このような差別問題をこれから生まれてくる子供たちにどう伝えていくか」です。広島の原爆などは子孫がいるが、ハンセン病患者は当事者しかいません。しかも当事者(元患者)の平均年齢は88歳と90歳近くになり、だんだんと亡くなる方も増えています。愛生園では2人しか語ることができる人がいません。だからといって、これから生まれてくる子たちは学習しなくていいわけないです。だから今のうちに私たちが当事者から聞き、伝え“続けて”いくことが重要になってくると思います。そして中尾さんの思いであったように、こういうことが二度と起こらないように、自分だけで終わらせるのではなく、周囲の人も知っていく必要があると思います。そしていつか、森口、吉成先生(人権マスター)と一緒に働きたいし、この会にも教員として参加してみたいです。森口先生が、私が教員になるまで教員を続けるとおっしゃっていたのはとてもうれしかったし、あらためて頑張らなくてはと、喝が入りました。 (高校1年 NM)

 私は所属しているサークルで、ハンセン病について学ぶ研修があったので、そのことについて学ぶことにしました。実際に岡山県の療養所に行き、元患者さんの話を聞いたり資料館などに行き調べてみました。研修をして、私の予想以上に元患者さんはすごく前向きで強かったと思います。すごく話を聞いてて元患者さんの気持ちが伝わってきました。元患者さんは二度とこのようなことが起こらないでほしいと言っていました。私もこれから偏見や先入観にとらわれず、しっかり自分で考え判断できる人になりたいと思いました。そのために精一杯生きていきたいと思います。 (中学1年 AM)

 一泊研修ありがとうございました。実際に現地に行ってみると、今まで自分の中にあったハンセン病の印象がすごく変わりました。施設によって対応が違っていたことに驚きました。最初、元患者さんに会うと聞いて少しドキドキしてしまいましたが、治る方法があると教えてもらって安心しました。病気を広げないために隔離をすることは必要だったとは思うけど、しいたげたり、家族や知り合いと断絶はする必要はないんじゃないかと思いました。分からないことは怖いと感じてしまうので、正しい知識を得ることが大切だとあらためて思いました。参加できてよかったです。 (中学3年 SW)

 今回はとても良い学びになりました。岡山に着いて、最初の研修である歴史館の見学では、あり得ないようなお話を聞かせていただき、驚きを隠せませんでした。園内フィールドワークでは、実際に足を運んでみると、話を聞いているだけのときと違い、情景がより見えてきました。その後の長島愛生園入所者の講話では、今まで学んでいたときとは比べものにならないくらい信じ難く、絶句するような貴重なお話を聞かせていただきました。2日目の邑久光明園入所者の講話を聴かせていただいたときもそうだったけれど、生の声を聞くのがどれほど大切なのかということをしみじみ感じました。バス内での発表のときにも言ったけれど、入所者の口から出ることは、これまで学んできて知っていることもあったのに、すべてが初めて聞いたかのような感じになりました。またイチから聞きたくなるような内容です。みんなでのカレー作りも、部屋内でも、皆が仲良くしてくれて、より仲が深まりました。楽しすぎて、気がついたら2時30分を過ぎ、明日の朝起きられるのか不安を感じるほどです。2日目の朝は、無事予定通りに起きることができ、朝食を食べ、この宿泊施設を退所し、この島を出るとき、少し切なく感じました。また必ずここへ来ようと思います。今回の一泊研修では衝撃的なことが多すぎました。その中でも一番心に残っていることは人間関係についてです。家族と、近所の人と、友達との関係…。ハンセン病に罹ってしまうと、自由が奪われてしまううえ、人間関係も崩れてしまう。家族と縁を切らざるを得なかった人。近所の人や世間からの嫌がらせ。遺骨を受けとった家族が、その後、海に捨ててしまう。患者にとってはとても辛いと思うし、もし私がその立場だと耐えられないと思います。でも、誰も悪くない。確かにそうだけれど、このような差別が起こってしまったのは許せないです。2度と繰り返さないため、もっとたくさんの人に知ってもらいたいです。私も学び続けようと思います。今回は楽しく良い、最高の学びができました。ありがとうございました。 (中学3年 KY)