4期第10講「思い出のあとさき~夏のふりかえり~」
いやー、ホントに良かった。もう死んでもいい(何回も思ってるのですが 笑)。死にませんが。まだやりたいことは山ほどあるので。
けど、語り合い、分かり合うことの意味、人がつながることの意味を、あらためて感じた講となりました。
9月14日(日)、徳島県教育会館で、8人の中高生と2人の大学生、5人の大人が集まって、第10講「思い出のあとさき~夏のふりかえり~」を開催しました。
特に今回は、特別ゲストや突然の来訪者があり、何ともウキウキでした。
まずはみんなで自己紹介。そして、夏のイベントを順に振り返りながら、参加者に発言を募っていきました。
まずは、一つめ「人権を語り合う中学生交流集会+'25」。
死刑制度の議論について、「平行線で手をつなぐ」ことの意義を、来られてなかったメンバーも含めて語り合いました。ヤングケアラーについて発表をしたMOさんからは、当時をふりかえっての話もありました。また、すごい一日だった、いろんなことを学べた、とも語られました。
私からも、「無知は恥」を例にあげて、言葉を深く掘り下げて考えることの重要性について話させてもらいました。
二つめは「夏季一泊研修・香川豊島」。
港や船からの写真。BBQや花火、星空、夜の語り合い。島の頂や豊島美術館、夏の砂浜。そして、産廃現場、資料館、パネルの写真、写真、写真。
日本のSDGsの原点と聞かされて来た。いつか上勝のゼロウェイストセンターにも行ってみたい。92万トンという量が想像できない。子や孫のためにたたかい抜いたお年寄りたちがすごい。あまりに衝撃的すぎて頭の整理が追いつかなかった。同じ四国の出来事なのに、もっと関心をもつべきだと思った。公害や水俣病については習うけど豊島は聞いたことがなかった。授業で習ってもいい出来事。ゴミ問題は海外のことだと思っていた。豊島のことはここで初めて知った。ゴミ問題はわがごとだと思えた。豊島はきれいな島だった。
見ていた写真の中で、一つだけ朗読させてもらいました。「私たちは何をなしえたか」です。せっかくなので紹介させてください。
「私たちは何をなしえたか」
私たちのたたかいは、廃棄物を島外に撤去させ、美しい島を取り返すことに成功したというにとどまらず、これからの社会がどうあらねばならないか、どうすればそれが実現できるかを指し示したことにおいて、大きな意義があると思います。
このたたかいは、私たちの社会が目先の利益を追い続け、生産だけを重視し続ければ、取り返しのつかない結果を招くことを多くの人に知らせることになりました。そして「使い捨ての社会」から「廃棄物を出さない社会」に向かうべきことを社会の共通認識とすることに、大きな役割を果たしたのです。
また私たちは国や自治体を無謬(むびゅう)のものとして「信頼」し「依存」してはならないこと、その誤りに対しては、私たちの力でそのことを認めさせ、謝罪させ、是正させることが可能であること、を示しました。
私たちの運動は「統治される」受け身の生き方から、あるべき行政を積極的に要求したすぐれた実践例でした。
さらに私たちのたたかいは、社会的弱者であっても、その要求に道理があり、広範な人たちの支援を得れば、社会的強者に勝つことができることを多くの人に教えたのです。
いまも世間には不条理に泣いている人がいくらでもおりますし、過去に正義が実現せずに終わった例は数えられないでしょう。
どうすれば、社会的弱者の正義が実現するのか。私たちのたたかいには、それを学んでもらう数多くの教訓が含まれています。
豊島住民を「中核」に、いろいろな人たちが、いろいろなかたちでこのたたかいに加わって、いわば「同心円」をつくり、その「円」を年月を追って大きくして、社会的強者を追いつめていきました。
私たちの勝利は、このたたかいに加わった多くの人たちの見事な「共同作品」なのです。
その意味でも、私たちは住民運動史上、金字塔を打ち立てたといってよいのではないでしょうか。
弁護士 大川真郎
これはよくできた、秀逸な文だと思います。私なんかが言うのもおこがましいことですが。(大川さん、ごめんなさい)
「豊島宣言」も素晴らしいのですが、どちらかといえば、分かりやすい文で、私は好きです。できれば皆さんにも声に出して読んでもらいたい文です。
同じように声に出して読んだ方がいい文として、「雨ニモマケズ」や「水平社宣言」、「アイヌ神謡集」があります。
「雨ニモマケズ」
雨ニモマケズ/風ニモマケズ/雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ/丈夫ナカラダヲモチ/慾ハナク/決シテ瞋ラズ/イツモシヅカニワラッテヰル……
「水平社宣言」
全国に散在する吾が特殊部落民よ団結せよ。長い間虐められて来た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々とによつてなされた吾等の為めの運動が、何等の有難い効果を齎らさなかつた事実は、夫等のすべてが吾々によつて、又他の人々によつて毎に人間を冒涜されてゐた罰であつたのだ。……
「アイヌ神謡集」
序 その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人たちであったでしょう。……
そして、三つめは、「SAG徳島 夏の交流会」
これは参加者が来られてなかったので、私から話させてもらいました。ゲイをテーマにした最近のアメリカ映画を観て、小グループで意見交換をしたことなどについて。
四つめは、「広島平和研修」
原爆資料館に展示されている、いくつもの遺品や写真や絵。被爆者、三輪車、お弁当、黒い雨、人影の石、防火用水、キノコ雲、佐々木禎子さん、ノーベル平和賞メダル……。原爆ドーム、原爆の子の像、折り鶴コーナー、峠三吉の碑、語り部さんとのお話。
人の多さに驚いた。小さい子どもまでいた。背伸びしないと見えないくらいだった。あらためて、何度も行かないとと思った。小2のときに先生から聞いた話が印象的で行きたかった。分かったつもりになっていたということが、行って分かった。今まで平和記念式典をテレビで見ようとしても見られなかったけど現実に見ることができた。黙とうで一気に静まった感覚は、行けて良かった。
そして、今回特別ゲストとして来てくださった大学生にもお話しいただきました。
自分は長崎出身で、小1から高3までずっと平和学習をしてきた。8月9日も登校日だった。それは他県にはないことだと思う。みんながしていることは素晴らしいことで、自分としても嬉しい。ウクライナ、ガザ、中国など、ニュースに出てくる話題も気になると思う。自分にできることは何かと考えていきたい。
ここまでで2時間かかってしまい、残りの2つは省略せざるを得ませんでした。。。
そして最後の「鳴門市人権地域フォーラム」について、森口先生にマイクを渡します。
実はフォーラムであったKN母の発言に寄せて、一昨年度の人権こども塾閉講式のときのKNの発言、昨年度の一泊研修でのKN母の発言、そして今回のフォーラムでのKN母の発言と、その後に託された思い。それらを一つの大きな流れとして、全体で「人と人のつながり」についてふりかえりました。
私は当時、自分のことを相談できる環境になかった。自分もしゃべってすっきりし整理することができた。勇気を出して発表することで、ASKとのつながりが生まれた。親の意識はそう変えることはできない。でも周囲の環境で人の考えは変わる。祖母は人権教育を受けてないから差別をしてしまうのだと思う。自分も父から部落ルーツの話を聞いた。祖父は自分の不登校を心配して泣いてくれていた。そんな祖父にもここに一緒に来てほしい。KNの発言には当時驚いた。自分のシングル家庭について向き合えないときもあったが、中学時代から変わった。今は幸せを感じている。大学受験に一区切りがついた。船酔いを、「思うは招く」で乗り越えることができた。
この最後の「思うは招く」ですが、私たちはみんな、「思っ」てきたのかもしれません。だから「思う」ことで、様々な出会いや勇気、つながりや幸せを招いてきたのかもしれません。今回来てくれていた大学生からも、「中高生の言葉のつながりがすごい」と感想をいただきました。
KN母の発言から、まるで中学時代に私との関りで変わったかのように聞き取った人もいましたが、そうではないと思います。これは本人にも言ったことないのですが、KN母の中学時代の私の印象は、「キラキラ」でした。本当にいつもキラキラしていたのです。純粋で真っ直ぐなイメージ。これは私の想像ですが、家庭の子育ての結果のように感じます。差別体験の中で、それでも真っ直ぐに、くじけることのない子育てをしてきてたのではないかと思うのです。だから、物事を純粋に、真っ直ぐに見ることができるのではないかと思うのです。そういう家庭は他にもたくさんありました。SF父の家庭もそうでした。当時そんな生き方にふれるたびに私が思ったのは、「そんな生き方を自分もしたい!」でした。つまり、いろんな差別体験や困難を経験しながらも、それでも自分を曲げることなく、強く、たくましく、そして相手を包み込もうとする揺るぎない懐の深さに、憧れのようなものを抱くようになったのです。自分もそんな生き方をしたい、それが、私の今の原点です。つまり変わったのは、私の方なのです。
今回、突然の来訪者に、よろこびを隠すことができませんでした。「休塾」それは、「見えない糸でつながってる」ってこと。来なくても、思いをここにちゃんと「置いておく」ことが、どれだけ励みになるか。
これからの連絡をいくつかしました。次年度の一泊研修どこにする? 次年度ヒロシマで何をする? 「秋の人権文化祭」復活する? いずれにしても時が流れる中で、高校卒業と同時に当塾を卒業する際には、クルー側として運営サイドにかかわってもらえればと思っています。KTくん、ヨロシク!
同時に、「出る」ばかりでは当塾は成立しません。インスタや数学教室、また11月9日の「むつみ祭」や11月30日のPTA「未来の種を育てよう」に赴き、次世代の勧誘にも励んでもらえればと思います。なおかつ、学校以外の、中高生の「人権の窓口」として拡げられたらと思います。
今回の発言の中で、フォーラムで私が紹介したテレビドラマ「舟を編む」のセリフ。
「言葉は人とつながるためにある」
これを思い出して言ってくれた人がいました。えっ、覚えてたの? ドキッとしました。
そんなことは他にもあって、3年前の中1のときに授業で話した「名前の持つ意味」や、授業で観たDVD「豚がいた教室」を覚えていることにも驚かされました。
言葉とは面白くもあり、恐ろしくもあります。
言語的表現で伝えられるメッセージは、非言語的表現で伝わるメッセージより圧倒的に小さいといわれてるの知ってます? 非言語的表現とは、ジェスチャーや声の高さ・速さ・間合い、表情や目線などです。ということは、言葉にはあまり意味がないのか、ということになりますが、そうでもありません。言葉に伴う「思い」を、言葉以外の表現でどう伝えるかです。皆さんは、言葉がなくても人の表情だけで読み取れたような感覚になったこと、ありませんか? それが当たるときもあれば、外れるときもあるのですが。でも、言葉に「思い」を乗せて伝えることはすごく大切なのだと思います。「思い」の薄い言葉は、頭の中を素通りし、あとに何も残りません。残念なことです。
一方で、活字だけであるにもかかわらず、胸の奥底に響き、後々まで残る言葉や話もあります。それが、「アイヌ神謡集」だったり、「水平社宣言」だったり、「何をなしえたのか」です。そこには非言語的表現はありません。なのに、なぜ胸を打つのか。それが、言霊というものかもしれません。つまり、言葉に魂を宿らせることで、本来伝えたいことを、ちゃんと伝えることができるのだと思います。
地図に残る仕事、形にできる仕事もステキだなと思います。でも、こうやって人の心に残る文や、人の心に残る言葉もいいなと思います。私の場合、そんなにすごいことではありませんが、そうやって人の中にそっと残れることを、うれしいなと思います。
次回人権こども塾は、10月12日(日)です。テーマは「アイヌ問題」。
そこで、塾生に宿題。アイヌのことについて調べてきてください。多くても少なくても結構。他の人と重なっても結構。そしてそれを、口頭でも、用紙でも、パワーポイントでも、動画でも、何でもいいので、他のみんなに紹介し合うことで、みんなの学びとしましょう。
それと、「四国朝鮮初中級学校80周年」申込書もこの日〆切です。忘れないように、全員持ってきてください。この日欠席の人は連絡してください。
最後に、アイヌの知里幸恵さんについて少しだけふれさせてください。
明治、大正を生きたアイヌの知里さん。その能力の高さに、文字を持たないアイヌ語を和訳することを請われました。そして書きあげたのが、「アイヌ神謡集」。この機会に、「序」だけでも聴いてみてください。本当に素晴らしい文です。こんな素晴らしい文が書けるアイヌのことを、どうして「未開の民」とか、「土人」として蔑むことができるのか。本当に悔しく腹立たしい限りです。酷いです。あり得ません。
「アイヌ神謡集」は1時間40分と長いアイヌの物語ですが、「序」は初めの6分です。どうぞ、お聴きください。
そしてこの年の9月、知里さんは、19歳の若さで亡くなってしまうのです。

