4期特別⑧「映画「みえない手錠をはずすまで」」
1月18日(日)午後から藍住町総合文化ホールで「SAYAMA みえない手錠をはずすまで」が上映されました。この映画ができたのが2013年ですから、もう12年くらい前の映画になります。
冒頭、まだ夜が明けきらぬ河川敷を、一雄さんがひとり、ジョギングしています。その姿を見ただけで、涙が浮かんでしまいます。
冤罪が晴れるまで父母の墓参りはしない、と言う一雄さんと早智子さんとのやり取り。兄六蔵さんと連れ合いさんとの苦悩がにじむやり取り。月見ヶ丘の砂浜や剣山、川遊びの場面。石川さんを囲んでのBBQ。当時の懐かしい中高生や仲間の面々。全部、ずっと、涙目のまま。
とりわけ、一雄さんと早智子さん二人のやり取りは笑いを誘います。それに一雄さんが夢を語る場面。ケニアに行きたい。夜間中学校に通いたい。聞くたびに、余計に悲しさが込みあげてきます。
20代から50代までの32年間を奪われた一雄さん。決して無駄ではなかったと言いますが、もっと別の人生もあったはず。早く冤罪が晴れていれば、想いも叶っていたはずです。そう思うと、本当にやりきれない気持ちでいっぱいになりました。
昔の映画と言わず、自分には関係ないからと言わず、やはり多くの人に観てもらいたいと思いました。
105分の映画のあと、早智子さんの講演が質問形式で行われました。
自身の部落差別意識にふれて語られます。自分の出身を隠すように言われ、隠し通した中高生時代。しかし、当時盛りあがっていた部落解放運動を侮蔑する職場の人々。耐え難い日々。そんな時に出会った、狭山事件、石川一雄さん、「差別から逃げるな」の一言。出るも地獄、引くも地獄。同じ地獄ならやってやろう。「もう隠さない!」と誓ったと言います。それが自分を変えたし、「隠せ」と言った母をも変えたそうです。
3月11日10時31分逝去。3月11日は、死刑判決が出された同じ日。10月31日は無期懲役が出された同じ数の並び。
学校に通うことができず、文字が書けなかった一雄さんに、文字を教えてくれた刑務官。職務に反すると知りながら、自分の判断で教えた初めの文字は、「無実」。その学びは8年間つづいたそうです。しかし勉強をするにしても道具が必要。それは刑務官のパートナーが差し入れをしてくれたと言います。あり得ないことです。そんな姿に一雄さんは応え、朝から晩まで毎日勉強をしつづけたと。
いま必要なことは、再審が開始されること。しかし再審が開始されても、100年近く変えられていない「再審法」では、早智子さんが存命のうちに判決までたどり着けるか…。 「①証拠を出さないでもいい検察の制度を変えること ②判決が出ても検察は抗告できない制度に変えること」最低限この2点。これを実現できる議員を増やすこと。議員立法として「再審法」を改正する道筋をつけないと、狭山事件そのものが闇に葬られてしまいかねません。
「次の世も 生まれしわれは このムラに 兄弟姉妹と 差別根絶」
最後、舞台上で深々と頭をさげて懇願する早智子さん。何としても再審開始をしてほしいし、無罪を勝ちとりたい。そのためにも、多くの理解者と賛同者が必要です。今月29日に再び早智子さんは徳島に帰り、話をしてくれます。この映画も観ては欲しいですが、まずは早智子さんに、早智子さんの言葉にふれてみてはどうでしょう。私も、死ぬまで共に闘いつづけます。

