4期特別⑦「第19回徳島市人権フェスティバル 西田昌矢講演会」
12月14日(日)13:30から、徳島市ふれあい健康館にて第19回徳島市人権フェスティバルが開催され、「私は部落から逃げてきた」と題して西田昌矢さんが講演されました。
今回の参加塾生は1人と、寂しい状況でした。
西田さんは2年前、NNNドキュメント23で全国放送された「いろめがね」に登場していた方です。
今、部落差別問題を若者はどうとらえているのかを、元記者として、また自分の生い立ちを通して率直に語ってくださいました。
小学生のとき、学力補充のために地区学習会に連れて行かれたこと。当時、自分にとって部落差別は関係ないと思っていたが、地区のおじさんから差別の実際について話を聞かされ、思い当たる節を感じたものの、中高と逃げていたこと。
大学時代、本棚に置いていた部落の本を、友人が来たときに隠したこと。
西日本新聞に入社した後も、とぼけたように知らないふりをしていたこと。
ところがナガサキのヒバクシャに取材を繰り返すうちに、「自分はこのままでいいのか」と思うようになったこと。80歳でようやく被爆のことを話せるようになった岡信子さんが、取材の翌月に亡くなったこと。文字通り死ぬまで核廃絶を訴え続けた姿に接したこと。
取材①ハヤト:結婚相手に、「私、部落の生まれなんだよね」と告げられたとき、「自分は学習してなければどう返してただろう?自分のことを言えただろうか?」と考えたこと。
取材②姉:真剣に付き合う人にはかるーく言うようにしている。断られたらショックだから。けど、伝えるときは怖いし、気にしながら生きてきた。
取材③タカシ:「部落の血は穢れとる」と言った親戚とは今でも付き合いはない。これまで頑張ってこられたのは、「故郷に誇りをもちなさい」という郷土愛があったから。
取材④ヒデコ:兄はルーツを隠して結婚したが、わかったとき「隠して結婚するのは詐欺みたいなもの」と言われ、離婚。
取材⑤祖母:住所を聞かれたときは「市内です」としか言えなかった。家の近くのバス停は、時間や場所をずらして使っていた。
取材⑥母:後ろ向きな母への取材はピリピリしていた。地区学習会は面倒で、立場宣言も嫌だった。「あんたには普通の場所で暮らしてほしい」の一言が刺さった。
聞く話のどれもが、まるで50年前のことのようでした。しかしそのどれもが、「今」のこと。部落差別は確実に残っていて、だからこそ、しっかりした学習をちゃんとしないといけないと痛感しました。
最後に、「人権問題はみんなにとって共通の課題」であって、「みんなでつくっていきたい」とおっしゃられて、アッという間の講演会が終わりました。みなさんにも出会ってほしい人が、また増えました。
残念ながら会場参加者は多くはなく、アンケートには「中高生の人権教育を積極的に推進してもらいたい」と書かせていただきました。これが今の徳島の教育の実際です。嘆かわしい限りです。だからこそ私は、声をあげていきたい!と思いました。
次回人権こども塾は、12月21日(日)13時半から県立博物館にて、「身近な戦争・徳島大空襲」を開催します。年内最後です。多くの塾生の参加を期待しています。

