2024年1月26日から28日まで、第73次教育研究全国集会が開催されました。
初日26日に間に合わせるため、前日25日に徳島を出発したのですが、当日北海道は暴風雪警報。
徳島から羽田まで飛行機は飛んだものの、乗り継ぎ便はどうしても新千歳空港には着けず、欠航。
別の便の空席やキャンセル待ちを試みたのですが、これも長蛇の列。
東京に泊して翌日のフライトも考えたのですが、これも目途が立たず。。。
結局、「これも経験!」と気持ちを切り替え、陸路!北海道に向かう決断をしました。
17:20東京駅発「はやぶさ39号」
埼玉、福島、宮城、岩手を過ぎ、初の青森、青函トンネル、そして北海道上陸。
景色は真っ暗で何も見えませんでしたが、私は津軽と函館の駅弁を食べることができました。
翌日26日、函館北斗駅から特急に乗り込み、途中「ウポポイ」を横目に、ようやく分科会場「人権教育」に参加します。
1日目。午後から始まる全22本のレポートの1本目(8分以内)は、奈良から来られている若い女性の先生でした。初めて学級担任を受け持ったレポート「もう行けないんです。」でしたが、これが、凄かった。レポートにはこう書かれていました。
「(2)学級開き 私は自己紹介で、「第一声」という自分の生い立ちから語るようにしている。……」
母子家庭で育ったこと、学校で感じてきた不安感、教師になった理由、だからこんな学級にしたい、ということを語ったというのです。
どうして?
どうして、「している」なのか、もう訊きたくて訊きたくて仕方ありませんでした。いくつかの質問に答えるなかでレポーターは答えました。
「学級開き」とはそういうものだと、同学年の先生方から教わった、と。
「やられたー!」と思いました。「学級開き」も「第一声」も、徳島ではもう死後になっているような言葉です。でも、自分も含め、かつては徳島でも大切にしてきた取り組みです。どうやって「学級開き」をするのか、そのとき教師は「第一声」として、子どもたちに何を伝えるのか、どんな学級をつくっていきたいのか、まさに「自分を語る」ことをしていました。
何事も始めが肝心です。そこを曖昧にしたり、いい加減にしてしまうと、逆にあとあと収集がつかないようなことなってしまいます。だからこそ、「学級開き」初日に勝負をかけに行くかのように、「第一声」の取組を重要視してきたのです。
2本目は、私の左隣に座っていた福岡の方のレポート「自分を語ろう、そしてつながろう」でした。班ノート(リレーノート)や修学旅行でのクラスミーティング、絵葉書の取組についての報告でした。
私がしてきた取り組みと本当によく似ているレポートでした。
どうして?どうして?と、しつこく訊く私に、どんどん自分を深掘りしていったこの方は、2日目、3日目と、どんどん語る内容が濃くなっていきました。語るたびに、広がっていた霧が晴れていくような感覚でした。根っこに自分の生い立ちがあったことに気づいたといいます。
やはり「自分を語る」ということは、その人のありのままの人柄が見えるということだと思います。
……書いていけばきりがありません。
大分の「どうしたん?」をレポートした方の、真っ直ぐで純粋な報告にも感銘を受けました。自分を見つめ、家族を見つめ、母親との確執を乗り越えようと、2日目には「これから母に電話をする」と宣言をし、3日目にはその報告をするという場面も。
沖縄、鹿児島からは、「地区を子どもには教えない」と保護者に言われたこと。三重からは韓国・朝鮮とのかかわりについて。
そして徳島からは、「みんなで語り合う人権学習は、すべてを変える~T-over人権こども塾の取組~」を報告させてもらいました。その内容については、今さらなのでここには記しませんが、人権について学びを重ね、対話を重ねることによって、子どもたちは思わぬ成長を遂げていくことを、具体的な事実をもって報告させてもらいました。
この日の夕食は、参加メンバーで、札幌一美味いジンギスカンの店でした。心もお腹も満たされた一日でした。
2日目、長野、千葉、北海道、大阪、兵庫とレポートがつづきます。
鳥取高の「娘には関わらないでほしい」には、胸がずきんとしました。親の思いをていねいにすくいあげることの大切さが語られました。
山口の方とは、川口泰司さんの話で盛り上がりました。
神奈川の若くて元気はつらつとした報告には元気をもらいました。代わりに、国連NGO横浜国際人権センターの月刊紙「語るかたるトーク」を1部プレゼントさせていただきました。「部落」の意味を知らないことにも驚きましたが、場所や世代によってはそういうこともあるということが、あらためてよく分かりました。
長崎の「わたしは「最強」からの「脱却」」からは、教師が一方的に決めていたことを、子どもたちの自治に委ねていったという報告でした。大変共感できる内容で、人権教育を進めていけばこうなる、ということがよく伝わってくる報告でした。
佐賀、熊本、熊本高。この熊本からの2本のレポート「出会い~これからを生きていくために~」と「自転車にのれなかったときのことを振り返ってみると」には、釘づけになりました。先のレポートは、水俣にかかわっての取組で、後のレポートは、55歳で支援学校に入学してきた生徒との取組だったのですが、釘づけになったのは、お二人とも、自分が部落出身の教師であるということを公言したうえで、自分や家族の有り様を誠実に、ていねいに語り切ったところでした。レポートにもあるように、「子どもに自分のことを語らせるなら、自分のことも語らんね。」と先輩教員から言われたこともあると思います。前日に森口先生が、自らのことを語り切ったこともあるかもしれません。にしても、このお二人の報告には胸が震えました。胸が熱くなりました。だからこそ、その取り組みがしっかりしていくのだと確信しました。今回、この会に来られて本当によかったと思わせられたレポートでした。
宮崎のレポート「「ことば」で伝える~わかってほしい私の思い~」も、自分のことをちゃんと明らかにしたうえで、子どもたちと仲間づくりに取り組んでいる報告でした。
最後の鹿児島高からは、島差別の思いを抱えた取り組みが報告されました。
朝からの長かった一日は、あっという間に終わりました。本当に濃い、充実した学びとなりました。
3日目は総括討論として、5つの討議の柱に寄せて、手を挙げた方が5分という制限のなかで意見を述べていきます。
(1)徳島、熊本高
(2)神奈川、三重、奈良、鳥取高、福岡、長崎、大分
(3)千葉、徳島、鹿児島、大阪
(4)北海道、兵庫、山口、沖縄、熊本
(5)佐賀
そしてまだ時間があったので、さらに神奈川、徳島、徳島、熊本、熊本高と意見を述べていきました。
私たちからは、熊本や神奈川の先生、そして奈良や大分の先生にエールを贈りながら、教師自らが「自分を語る」ことが、人権教育・人権学習の原点でありスタートだということ、これからも互いにつながりあいながら頑張っていきましょうと、あらためて伝えさせていただきました。
3人の共同研究者それぞれからも、最後に総括がありました。
そのなかで、人権こども塾の取組にふれて、「家庭でも学校でもない、人権を軸にした第3の居場所があってもいいかと思います。皆さん、徳島に行きましょう」との言葉をいただいたことは、大変大きな勇気と励みになりました。
この日は午前で終えたのですが、本当に中身の濃い、充実した時間でした。本来の人権教育の方向性を確かめられた時間となりました。そして、やっぱりやっていきたい。もっとやっていきたいと思わせられました。私たちに残された時間はあまりないのですが。。。
この日は、せっかくだからと、隣町の小樽に行ってみました。かつて海運や貿易で栄えた街です。有名な小樽運河にも行きました。でも、あまりにも韓国や台湾の観光客が多く、写真を撮ってもらうにも一苦労。
最終日は、朝早くホテルを出て、空港までの間にある北海道日本ハムファイターズのエスコンフィールドへ。スタジアムツアーの予約を入れていたのです。
昨年できたばかりの新球場は、これまでのイメージにある球場ではなく、ボールパークでした。
約1時間かけて、キツネダンスのガイドさんが、球場内を案内してくれます。
年間契約席、プレミアムルーム、歴代監督コーナー、作戦会議室、監督室、選手ロッカー、記者会見室、どこも本当にきれいで、ステキ。スタバコーヒーは選手飲み放題だそうです。
ベンチでは、新庄監督席にも座らせていただきました。
それと、そうそう、あのダルビッシュ有選手も大谷翔平選手も、ファイターズの選手でした。その写真や巨大な壁画も。「11」が至る所に強調されていましたが、それもお二人の背番号にちなんでのことなのだそうです。
本当に夢のある世界です。
夢は、人が人として大切にされて初めて輝けます。
どんな世界にも人権が尊重されるために、それを実現していける人材を、これからもつくり続けていきたいと思います。
そんな人材と共に、新しい世界をつくり続けていきたいと思います。