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【人権居場所】中学生来ませんか~!

【人権こども塾 新規4期生・2025年度生】募集について

現在入塾している中学校、3校。

 

ダイバーシティって、わかりますか?

どこかの市の名前? 水に潜る市? すでに水に潜っている市??

「ダイバーシティ=多様性」という意味です。

より多様な中学校から中学生に入塾してほしい。そう考えています。

 

かといって、「人権意識の高い人」を求めているわけではありません!

よく言われるのが、「そんな人権意識が高いわけではないので…」。

私たちが求めているのは、「人権意識の高い人」ではありません。「人権に関心のある人」を求めているだけなのです。

いじめにあったことがある。自分に韓国・朝鮮や外国のルーツがある。被差別部落のルーツがある。何らかの障がいがある。障がいのある家族がいる。家族の問題で悩んでいる。何かよく分からないけど生きづらさを感じている。性についてモヤモヤしている。単に関心がある。あたたかい居場所がほしい。などなど。。。

そんな中学生に、T-over人権こども塾、新規4期生として入塾してもらえたらと思います。人との出会いが人を、人生を、生き方を変えていきます。人権を通じたそんな出会い体験を、一緒にしてみませんか。気軽に、語り合いながら学び合える場として集えたらと思います。

人権こども塾の内容は、HPの 「人権こども塾」 をクリックしてください。

 

期 間

 2025年4月~2026年3月の1年間 ※毎月1~2回集まる「定例会」と、他に不定期の研修も実施予定。

場 所

 本研究所を拠点としながら、様々な場所で行います。

対 象

 中学生・高校生、新規4期生6人程度と歴代生希望者(保護者から簡単な承諾とご要望をうかがいます) ※定員に達し次第募集を終了します。

費 用

 無料 ※不定期の研修にかかる実費(保険代等)は負担していただきます。

内 容

 部落問題、在日問題、LGBTQ+などの人権問題、戦争と平和、環境と防災などの社会問題について対話的に語り合いながら学ぶことをコンセプトに、よりアクティブな実地研修に参加することも予定しています。

 人権を語り合う中学生交流集会+とその実行委員会、鳴門市人権地域フォーラムにも参加していただきます。

申し込み

 こちら  からお申し込みください。名前・学校名・学年・プロフィールを入力してください。 折り返しご連絡させていただきます。

 申し込み期間 2025年3月まで

 まずは、どうぞお気軽にご連絡ください!

2025年02月14日

これからの予定

「T-over人権教育研究所・人権こども塾」これからの予定です。

参加をご希望の方はご連絡ください。

私どもが伝えられる機会も残り僅かとなってきました。思いを同じくする方々、これからの時代を担う若い皆さんの参加をお待ちしています。

 

【2025年2月】

■2月23日(日) 人権こども塾第15講「人形のムラ・阿波木偶箱まわし」実施 13:30~16:30 徳島市むつみ会館・人形のムラ

■2月下旬 国連NGO横浜国際人権センター「語るかたるトーク」2月号発行

 

【2025年3月】

■3月20日(木祝) 人権こども塾第16講「3期卒業式・2024年度閉講式」実施 13:30~16:30(10:00~12:30「橋のない川」映画視聴) 徳島県教育会館

2025年02月14日

2024鳴門市人権地域フォーラム全記録公開!

昨年の夏に開かれた、「2024年鳴門市人権地域フォーラム」の記録ができあがりました!

共同代表である森口健司の進行のもと、私吉成や、元板野中生徒で教え子の中野伸二さん、元応神中生徒で教え子の柳本歩さん、また参会した中高生や一般の方々の言葉が溢れています。

感想も含め、全6編です。こちら から、どうぞご覧になってください。

2025年02月01日

2024全国教研で報告しました

2025年1月24日午後から26日午前にかけて、第74次教育研究全国集会が京浜地区で開催され、「人権教育」分科会に参加しました。

1日目午後 新潟、鳥取、熊本、鹿児島、大分、大阪

2日目午前 京都、千葉、静岡、兵庫、徳島、三重

2日目午後 熊本、鹿児島、川崎、山梨、長崎、福岡、沖縄

それぞれのレポート報告がされ、3日目午前には全体会・総括討論が行われ閉会となりました。

参加する中で、私が心に残った文脈についてふれてみたいと思います。

 

衝撃の事実! まずは兵庫県宝塚市の取り組み。

親が部落差別について言う、「いつかなくなる」。「それ、いつなん?今しんどい思いしてる子にそれはよう言えんわ」との共感的な思い。

現状としてある市民の意識調査(2017年実施)…

「同和問題があることを知っている」で「はい」と答えた人の割合…「50~59歳」96.5%、「20~29歳」57.6%、「16~19歳」41.8%
「学校で教わった差別や人権に関する教育の内容」で「同和問題」と答えた人の割合…「50~59歳」93.6%、「20~29歳」45.9%、「16~19歳」38.3%

この世代間差異のなかで、人権教育が消える学校と残る学校の違いを埋めるために考え出してきた、是正のための簡単で定期的な数値化による仕掛けづくり。

手法として試みることに意味はあるように思いましたが、「思い」が置き去りにされているようで、+アルファの必要性を感じました。にしても、この調査結果は衝撃的で、徳島でも市町村別に実施すべきと感じます。(個人的にはずっと思い、主張してきてる)

 

徳島からは「チーム担任制が拓く語り合いの人権学習」として森口共同代表が報告しました。

板野中学校で実践されてきた全体学習には汎用性があり、「語り合う」という手法が子どもたちの可能性を大きく拡げるというものです。

これは部落差別について取り組んできた全体学習のみならず、阪神淡路大震災や東日本大震災での復興、また原爆被害者の証言などで、必ずのように出てくる言葉です。語れば、マイナスだと思ってきたことがプラスに転化する。対話することが当たり前になることの重要性です。

また、そんな当事者の言葉に直に接することです。そして、感じたままの思いを自分なりに素直に表現することです。子どもたちは表現したいと思ってるし、そう願っています。認められたいと願っています。それに蓋をしているのが、今の日本の学校教育の現状ではないでしょうか。

チーム担任制は今回、人権学習で報告しましたが、テーマは何であってもいいのかもしれません。学年・学校が荒れるという話をよく聞きますが、それは一貫した共通テーマとしての楔がないからではないかと思います。楔がないから荒れるのです。人権は、子どもたちみんなに共通した普遍的なテーマです。だから学校が荒れることなく落ち着き、みんなが同じ方向に向けて頑張れる集団となるのです。

 

共同研究者からの話にも心響くものがありました。

形だけの識字への取組は、思いもかけない負の結果を生み出してしまうという話。受付で「池田」を「イケダ」と読んでもらえず、「サワダ」と呼ばれたときに対応できなかったゆえに、閉店まで待ち続けざるを得なかった識字者の話。

また、いつかどこかで聞いたという、「人権について大事なことを学び合った関係があれば、いつか何かあったときに助け合える関係になるのではないか」という話。

どれも唸ってしまうような話で、かつ自分の立ち位置を確かめることのできる話でした。

また、新潟からの取組として、知ることの必要性と大切さ。識字は差別への抗いであり、単に知ることだけではない。感性を取り戻すということ。

福岡からの取り組みとして、「くつろぎスペース」の必要性は小学校のみならず、中学校や高校にも必要ではないか。

 

他の実践を聴いていて思ったことは、「全体主義」です。これもずっと感じてきたことです。「全体主義」を美化する風潮がどこかにあって、戦時下の名残と思えるような形で集会や体育祭が行われ、それを良しと尊ばれる空気です。そんな競技や非常時の行動を美徳のように報道する空気です。そして、そうすることが強要される空気に、異様な違和を感じます。その一方で、中国や北朝鮮の集団演技を非難しているにもかかわらずです。「全体主義」は気をつけておかないと、個人を抹殺します。個性の伸長とはならず、個性を埋没させます。

「全体主義」の反対は「個人主義」でしょうか。言い方を変えれば、「人権教育」であるようにも感じます。日本の教育は、大枠として決まった形はありますが、都道府県によって、市町村によって、地域によって、その具体は違っています。沖縄には沖縄の問題があり、広島には広島の問題があり、北海道には北海道の問題があるようなものです。川崎市の「子どもの権利条例」は、それを具現化したものと言えるかもしれません。徳島においても、各市町村独自の課題があり、その違った課題をもとに、少しずつ教育は変わっているものです。であるならば、教員個々に合った場所での勤務も考えられなければならないのではないかと思えます。個人的に言えば、人権教育を尊重する私とすれば、人権教育に重きを置いた場所で仕事をしてみたい。そうでない場所では難しい、ということです。

 

あと話を4つ。

①子ども人権連のメンバーとして、「人権を語り合う中学生交流集会」について毎年助成審査をしていただいている平野裕二さんが来賓として来られていて、あいさつをすることができました。

②(共同研究者から)人権とは全く関係のないところで「近代音楽の特徴」について語られていて、それが、「雑音が取り除かれていること」だと。それまで許容されていた雑音や雑草といった概念が取り除かれ、その論理は子どもにも及び、「雑子ども」として取り除かれてはいないか、ということです。これには大変共感し、腑に落ちるとともに、大きな危機感をも感じました。

③(共同研究者から)「道徳を人権に変えられないか」との主張を30年来続けてきたと。同じようなことをずっと思い続けてきた私には青天の霹靂でした。道徳と人権は似ているように思えて、「似て非なるもの」、「真逆のもの」とすら思えるからです。これには私も賛同したいと思います。

④(共同研究者から)「研究は100年、教育は30年」研究はすぐには評価されないもの、ということは理解できる。「教育は30年」とはどういう意味か。結果が出るには30年かかるということか。子どもが社会の中心に坐するまでには30年かかり、そのときの社会の在り様が、30年前の教育に由来するということでしょうか。であるならば、これも私が思い描いてきたことと一致します。この国の、この町の30年後の姿をどう描くのか、それをもとに「今」どんな教育をしているのか、ということではないでしょうか。

 

土曜の夜はこちらにいる教え子たちや、旧知の方々と再会し、楽しいひとときを送ることができました。この教え子たちが、「教育は30年」の成果であるならば、私たちは自信と誇りをもって、今の取り組みを継続していけます。

今の教育が、30年後の未来をつくる。そこに夢と希望を語り合いましょう。

 

ちなみに前列左は、レスリング元日本代表オリンピアン、パリオリンピック代表レスリング監督です。

2025年01月27日

「語るかたるトーク」2025年1月号

 国連NGO横浜国際人権センターでは、毎月「語るかたるトーク」という月刊誌を発刊し、人権啓発を行っています。

 月刊誌には、杉藤会長やハンセン病訴訟原告団長の林力氏、また全国各ブランチからの報告や、国連からの情報が掲載されています。

 うずしおブランチからも、毎月寄稿を重ね、人権啓発活動に役立ててもらっています。

 その寄稿したバックナンバーのすべてをここに記録しました。そして、これからも毎月の最新号をアップしていきます。

 どうぞご覧ください。 こちら

 

 定期購読をご希望の方はご連絡ください。

2025年01月24日

人権インタビュー 森口健司

昨年(2024年)12月5日(木)深夜、6日(金)早朝に全国放送された、共同代表森口健司のインタビュー「語り合い、夢を託す」をリメイクし、いつでも聴けるようにトップページにアップしました。(34分)

本番の放送のあと、いくつもの反響があり、本人に直接連絡があったり、当HPにも問い合わせがあったりしました。やっぱり、どこかで誰かが気に留め、関心を寄せてるのですね。

 

教員を志した原点について。子ども時代の体験、学生時代の友との語り合い、高校・大学時代の苦い思い出。また教員になってからの訴え、「スダチの苗木」に込めた父への思い、自身の変容、語り合うことの意義。ヒトゴトからワガコトヘ。。。

 

思いを寄せてくれた方たちの思いが無に帰するのではなく、何かの形でこれからも実践を積み重ねていければと思いますし、発信し続けていきたいと思います。

人権インタビュー、どうぞお聴きください。

2025年01月24日

2025年スタート!

 

昨年3月、父が亡くなったため、「おめでとう」は、そばにそっと置いておこうと思います。92歳の大往生でした。

やはり家族が一人でも欠けると、何やらどことはなしに、ガランとした感じになります。それは一人めの姉が嫁いでいなくなったときも、二人めの姉がいなくなったときも、同じような感覚でした。去る者の悲しさと、残された者の寂しさは、いつも同時にやってくることを身に染みて感じます。

 

とはいえ、新しい年はやはり気持ちがいいものです。

昨年もいろんな人権トピックスがありました。水俣病原告団との話し合い最中になされた厚労省によるマイク切り事件、長崎被爆者団体との話し合いの最後の場面での岸田首相への直訴(田中正造の天皇直訴を思い起こします)、旧優生保護法による障がい者への強制不妊訴訟の勝訴、冤罪を認めた袴田事件の勝訴、そして日本被団協のノーベル平和賞受賞。どれもが胸に迫る大きな人権問題でした。

ところが、その事実を多くの中高生たちは知らない。なぜか。新聞やテレビ、ニュースを見ないということもあると思います。これも時代といえばそうでしょう。でも、それに替わって周りの大人が伝えればいいのです。しかし問題は、学校でも聞かされないということです。なぜなら、先生が知らないからです。そんな場面を今年も何度も経験しました。「あ、知らないんだ」愕然としました。若い先生なんかは中高生と同じで新聞もテレビも見ません。見るだけの余裕がないのかもしれません。にしても、残念すぎです。

日本被団協の田中照己さんのスピーチは絶対に見るべきです。子どもたちに見せるべきです。その義務と責任が大人にはあると思います。見れば、「見せたい!」「見せておきたい!」と思うと思います。そのための修学旅行でなかったでしょうか。そのための平和学習ではなかったでしょうか。

また視点を変えると、衆議院選挙など多くの選挙演説での政治家の言葉にも力が抜けました。この夏の暑さを経験して、どうして温暖化対策がもっと大きな声としてあがってこないのかと。裏金問題も大事です。経済問題も大事です。でもその前に、無事に生きて生活できてなんぼです。そのためにも、この国で、この星で生きていけるよう、温暖化対策がまず一番に語られるべきです。

 

この国のあり方、教育の方向性を憂えずにはいられません。このままではいけないように思います。どんどん間違った方向へと進んでしまうのではないかといった危機を感じます。

今の私たちに何ができるのか。大きなことはできません。それでも自分の思いを発信し、同じ思いをもつ方がいるならつながり、大切に育て、道をつくっていければと思います。もしかするとその道のつづきを歩んでくれる人が出てくるかもしれません。私の憂いが間違っていれば、それはそれで構いません。むしろそうであることを祈ります。

 

「ここから総理大臣、またはノーベル賞受賞者を出す。」

昨年の人権こども塾冒頭で発した言葉です。冗談ではありません。本気です。大きなことの始まりは、いつもちょっとした「勘違い」からです。それが雪だるま式に大きくなった結果が、大きな偉業につながるのだと思います。そんな大いなる夢をもつ若者が、どんどん育ってくれればと思います。

とはいえ、そんな偉人が出たからといってすべてがうまく解決するかというと、そうではありません。日本被団協がノーベル平和賞を受賞したからといって、地球上の原爆が1個でもなくなったでしょうか。むしろこれからだということです。ウクライナの問題もイスラエルの問題も、いまだ解決に結びつく目途はたっていません。1/3理論で言うところの、すべての人口の1/3が、日本という国の1/3が、中高生の教室の1/3が人権・平和に本気になって、ようやくスタートラインに立つわけです。そう考えると、私たちの道のりはまだまだ遠い先です。

 

人権こども塾は今年で4年目を迎えることになります。さらにパワーアップする気もしますし、しぼんでしまう気もします。人権に力を入れない今の教育の現状を思うとき、関心のある中高生が育っていないと感じるからです。やはり、教育です。肝心なのは教育のあり様です。

 

今年のT-over人権教育研究所・人権こども塾の活動計画です。

1.「人権こども塾4期生」の募集・開催

現3期生、2024年度生の期間も残り3カ月となりました。新規4期生、2025年度生の募集を始めます。今年も異次元の中高生を育てていければと思います。

2.「人権を語り合う中学生交流集会+」30年めのフィナーレ開催

こども塾生の多くが中3生ですが、その子たちにとって、集会を見送る最後の年となります。思いのこもったフィナーレにできればと思います。

3.「鳴門市人権地域フォーラム」へのかかわり

時と場を超えた様々な立場の大人同士が、大人とこども塾生が、共に学び合うという貴重な場にしていければと思います。

4.国連NGO横浜国際人権センター月刊誌「語るかたるトーク」への寄稿

今年も、この1年の出来事やその時々の思いを記録として残していきながら、全国の多くの仲間に発信していければと思います。

5.「みんなで語り合う人権学習」の実践と啓発

私たちの基本理念です。様々な人権課題について「自分を語る」ことに、どれだけの可能性が秘められているか。新たなチャレンジに挑戦していきたいと思います。

6.「ライフ・ツーリズム」の開発と推進

瀬戸内を中心とした、人権にまつわる各所を巡る旅のネットワークを拡げていきたいと思います。みなさんも一緒に旅しませんか?

 

人権をベースにつながった多くの仲間と、おもしろいこと、楽しいことを共に分かち合える1年に、今年もできればと思います。立場を越えていつまでも!

本年も、どうぞよろしくお願いします。m(_ _)m

2025年01月01日

八万中学校3年生第4回学年全体人権学習

11月18日(月)、徳島市八万中学校で、3年生による第4回学年全体人権学習を行いました。

3年間の集大成です。

そんな子どもたちの様子は、こちら からご覧になってください。

また、授業後の子どもたちの感想を中心にまとめた「人権だより19号~24号」 も発行いたしました。こちらもどうぞご覧になってください。

2024年11月30日

「人権を語り合う中学生交流集会+2024」全記録公開!

夏に開かれた、「人権を語り合う中学生交流集会+2024」の記録ができあがりました!

若きリーダーとなっていくであろう高校生2人のリズミカルな、かつ熱のこもった対話をお楽しみください。

これからの人権学習のありようが、彼らのなかに詰まっています。

感想も含め、全6編です。下のボタンをクリックしてください。

2024年11月16日

「アウシュビッツ」オンライン交流研修

10月27日(日)19:00~21:00、「負の遺産・アウシュヴィッツを訪れ、「戦争・平和」と「教育」を考える 一週間の旅」のオンライン交流研修に参加しました。

本当は現地に行きたかったのですが、そういうわけにいかず、せめてもの思いでオンライン研修となったわけです。

その前に、アウシュビッツとは? そこから動画で簡単に説明してくれました。これがわかりやすい。

私の知らなかったこともあり、ナルホド!と再認識しました。

そのうえで、現地に入った安彦さんの写真を中心に解説がありました、

きれいな街並み。 ユダヤ人のお墓。 「シンドラー」の資料館にある、執務室。 かの有名な入り口。 遺された子どもの服。 押し込まれた狭いベッド。 中谷さんによる解説。 参加者夜の語り合い。 ゲットー入り口の線路。 崩されたガス室。。。

 

聴いていて、まだまだ知らないことがこんなにあったのか、と思わされました。そして、いったいどうすればいいのか……です。イスラエルとパレスチナの問題です。

 

ほかにも、ハンセン病のことも想いました。部落差別と似てるとも思いました。結局差別の構造は似てるし、人間の考えることは、いつもどこも同じとも感じました。

そんななかで、いったい何ができるのだろう。できることはあるのだろうか。

それでも、、、。

本当に中身の濃い、あっという間の2時間でした。

そして思ったのは、やっぱり行きたかった、です。

行きます。必ず。

https://youtube.com/live/sX_53Slx1tQ?feature=share

 

そして最後に、安彦さんと私の対話。ヒロシマ「ハチドリ舎」にも、行きます!

 

2024年10月27日

「部落解放 増刊号」に掲載されました

10月25日発行の「部落解放 増刊号」(861号)「学校を変える被差別マイノリティの子どもたちPartⅥ」に、T-over人権こども塾の取組が掲載されました。

特集は、人権・同和教育、インクルーシブ教育、ジェンダーと教育、子ども基本法と教育、の4つのパートに分かれて掲載されています。

 

現在の社会情勢について、また人権教育の向かっている方向性について。

そんな中で立ち上げた人権こども塾。

その2023年度の様子を列挙しつつ、それが中学校にどう波及していったか。

また、参加する塾生の親子がどう成長していったか。

そして最後に、参加する塾生が未来をどう描こうとしているのか。

その1・2ページが、こちらです。

このあとは、↑画像をクリックし、ダウンロードしてご覧ください

全国いろんなところに波及し、人権文化が拡がり根づいていくといいなー、と思います。

2024年10月24日

教育研究集会で報告

10月19日(土)、午後2時から徳島県教育会館で、教育研究集会(主催:徳島県教職員組合)が開催されました。

そのなかで、まず1本目、森口先生から「チーム担任制により救われた教師と子どもたち~みんなで語り合う人権学習はすべてを変える~」というタイトルでレポート報告がされました。

「自分を語る」ことをすべての教室で取り組んできた、人権学習。

そのことを通して、子どもたちの「荒れ」は激減してきたといいます。

同時に、人権学習への関心も高まり、自分たち自身を見つめ直してきました。

この取組は、子どもたちにとっても良かったし、教師にとっても良かったと。

続いて2本目、私から「みんなで語り合う人権学習は、すべてを変える T-over人権こども塾の挑戦」というタイトルでレポート報告がされました。

森口先生の内容とも重なりますが、「自分を語る」こと、「自己を表現する」ことが分かれば、子どもたちは思いもしない能力を発揮する。そして他者の声を聞くことで他者を認めようとするし、自分も深く見つめるようになる。それが人権だよりなどでフィードバックされていけば、子ども集団がよくなるし、保護者との関係性も良くなる。

私自身、学校での人権学習が困難な立場年齢となり、人権こども塾を立ち上げたこと、そこでの取り組みについてお話させていただきました。

質疑応答もあり、どのような人権学習をしていけばいいのか、お答えもさせていただきました。

すべての命輝く人権学習が、日本全国どこの中学校でも実践されていくことを、心から願っています。

2024年10月19日

お誕生おめでとう‼

本研究所クルーの島藤さんに第3子が産まれ、そのお祝いに行ってきました!

長らく赤ちゃんを見ていなかったので、本当に癒されました。ふにゃふにゃで、泣いても寝てても、あくびしてもかわいい。

今年になってすぐの1月、島藤さんには人権こども塾を請け負っていただきました。大根掘りなどの農業体験やお餅つきをさせていただいたり、語り合ったりと、本当に楽しいひとときを提供していただきました。もしかすると、あのときすでに、赤ちゃんはお母さんのおなかの中で参加していたのかもしれませんね。👶👶👶

誰にも同じくこんなときがあったのです。命の不思議と、私たちの出会いの奇跡を感じます。

どの命も、その命が思いのままにまっとうできるように、私たちはこれからも人権について学び合っていきたいと思います。

みなさんも島藤赤ちゃんに会ったら、親しく声かけをしてみてください。そして、新しい仲間の誕生を一緒に祝いましょう!

ちなみにT-over人権教育研究所では、共に取り組んでいく仲間のことを「クルー」と呼びます。

「クルー」とは、crew という単語で、「仲間、メンバー、撮影班、船員」という意味があります。また clue という単語もあり、「手がかり、きっかけ、糸口、筋道」という意味があります。いずれにしても、私たちにふさわしい呼び名として使っています。

 

2024年09月29日

部落解放文学賞50周年記念式典

「部落解放文学賞50周年記念式典」の記事↑と、そのときの記念写真↓が送られてきました。

そのときの雰囲気を、どうぞご覧ください。

2024年7月27日(土)13時から、アートホテル大阪ベイタワー4階アートグランドボールルームにて、部落解放文学賞50周年記念式典が開催されました。

まずはオープニングとして、鶴橋農楽による「プンムル(風物)」が盛大に披露されました。

【鶴橋農楽】朝鮮半島で豊作の祭りや雨乞いの儀式で叩かれている打楽器4つを使い、歩きながら陣形を作り、さまざまなリズムの音を打ち鳴らします。鶴橋周辺の在日韓国朝鮮人3世、韓国人1世、日本人などの構成メンバーで、結婚式や地域のお祝い、お祭りで活動しています。

そのあと受賞された方々に、実行委員会代表である鎌田慧さんから表彰状が授与されました。

そして全受賞者お一人お一人から、受賞の言葉が述べられます。

そして今回は特別に50周年であることを記念して、パネルディスカッション「50年の軌跡 ~部落解放文学賞のこれから~」が開催されました。

選者の皆さんから、一言ずつスピーチをいただきました。

文字を獲得するとは、人間の尊厳を回復させるということ。この文学賞受賞に誇りを持ってほしい。人は何のために書くのか。逆に識字とは、記憶力のすばらしさであり、日常こそが驚きと発見の宝庫である。言葉とは分断と結びつけである。小説とは記憶ではなく、思い出。そこには、個人的現実、空想的現実、社会的現実という3つの現実が存在する。

難しくもあり、かつ専門的でありつつも、ほおー、と思わせられる貴重な学びのお話でした。

そして最後に、皆さんで記念撮影をして散会となりました。

同じこの場に居合わせた方々とお話をさせていただき、新しい情報を得、新鮮な気持ちになることができました。

やはり人と人は、直接的な出会いが大切で大きいと、実感しました。

今回の文学賞について、「受賞のことば」や「選評」、また入選5作品を載せた「第50回部落解放文学賞増刊号(1000円)」が発刊されます。

私にも10部いただけるということですので、関心のある方はご連絡ください。送らせていただきます。 こちら  私の作品「おかえり」は載っていません。

以上、表彰式の報告でした。

2024年09月25日

「おかえり」2024年7月26日徳島新聞

本日の地元紙、徳島新聞に掲載されていましたことを報告します。

小説「おかえり」のストーリーは、ここにもあるように、これまでの私の教員人生を物語るものであり、このあとに記してあるシンジさんの当時のストーリーでもあります。決して私が何かを求めて残そうとしたものではありません。したがって、ストーリーのほとんどすべてが、「事実」です。

その点においても、多くの人の目にふれられたら、という思いは強くありますが、このあと、この先は、私の力だけではどうしようもありません。。。

あと十日もすれば、またヒロシマがやってきます。ナガサキも。時代は前に進んだか、今も進んでいるか、いつまでたってもその繰り返しです。でもそれさえなくなってしまえば。。。

大きなことはできません。小さなこと、少しのことを、一つ一つ積みあげていくだけです。

これからも、どうぞよろしくお願いします。 よ

2022年9月19日付けの地元紙、徳島新聞1面のコラム、「鳴潮」に、当記者さんが原稿を書いてくださいました。

これはすごい!!!

記者さんとの出会いは古く、応神中学校勤務時代にまでさかのぼります。当時は平和学習についての取材だったのですが、その後もずっと覚えていてくださり、2021年3月17日に八万中学校体育館で行った、1・2年合同人権学習に取材に来てくださったのが事の発端でした。

そのときのテーマが部落問題で、シンジとはなちゃんに登壇してもらい、出会ったわけです。

当時の記録や人権だよりは、当HP「八万中学校」からご覧になれます。

今回、人権を語り合う中学生交流集会+’22にあらためてシンジが登壇したこと、その中身や決意、覚悟をお知らせしたところ、気持ちが大きく揺れ動いたらしく、記事に書いてくださることになりました。

 

県内外を問わず、同じような思いで気持ちが揺れている方、特に若者は多いと思います。そのような話は、個人的に教え子たちからも聞きます。

本当は揺れる必要などないことです。

堂々としていればいいし、隠す必要だってないことです。

にもかかわらず、どうして言えないのか。

言えない本人が弱いのか。

違います。

そこに差別を感じてきたから。

そこに差別があると知っているから。

そこに差別があるからです。

なければ、気兼ねなく言えます。言えないのは、この社会に、人を蔑んだり、バカにしたり、のけ者にしたり、いまだに非科学的な言い伝えを何の疑いもなく信じ込む風潮があるからです。

私たちは本当にちゃんと同和教育をしてきたのでしょうか。

ちゃんと残るような同和教育・人権教育をしてこられたのでしょうか。

「差別・被差別」の立場を起こしてきた当事者として、私は目を背けることができません。

これは、私の人間としての責務です。

 

物語は完結しません。

シンジの娘さんは、「これから」を迎えるのですから。

でも、私たちは知っています。彼女には大きな大きな、本当にたくさんのまだ見ぬ仲間がいるということを。

記事にすればこれだけですが、その脇には、ここに書けない多くの思いや出来事が、サイドストーリーがあります。今はそれをまとめているところです。何かの形になればと思っています。

物語は終わりません。

 

なお、今回シンジが登壇した人権を語り合う中学生交流集会+’22の記録については作成中です。作成でき次第報告書にしますし、当HPにもアップしますのでご覧いただければと思います。

2024年07月26日

久しぶりの狭山現調行きでした

2024年5月11日(土)~12日(日)に、反差別研修として、狭山現地調査に行ってきました。

行き先は、当たり前ですが、埼玉県狭山市です。

「狭山事件を考える徳島の会」などの仲間たちと共に、前日10日(金)の夜10時に藍住町に集合し、貸切のマイクロバスで出発です!

明け方、朝食をとって向かう途中に見える富士山がキレイ。

狭山に行く前に、熊谷市の「小江戸」に立ち寄ります。昔ながらの街並みが残る、風情のある観光地でした。

狭山に着いてまず、早智子さんに昼食に案内していただきます。

その後、お墓参り。

石川さんのお父さん、お母さんのお墓です。

「俺が無罪だということは両親が一番よく知っている。罪を背負ったままでは、両親に顔向けができない。無罪になるまで絶対に墓参りはしない。お墓に手は合わせない」

そう言う石川さんの代わりに、私たちは手を合わせ、墓前に誓います。

お墓から歩いて富士見集会所の会議室へ。石川さんと早智子さんから1時間ほどお話を伺います。

石川さんからーーー

24歳の死刑判決から60年。

読み書きできなかった不自由さ。せめて小学6年生まで学校に行けてればー。

父も母も識字だった。

貧しさのなか、年季奉公にも行った。

警官のなかには悪い人もいるが、いい人もいた。

刑務所の刑務官は、そんな俺に字を教えてくれた。刑務官の奥さんが、「クビになってでも教えてあげなさい」と言ってくれたから。8年間バレることなく、1日に1万字。深夜の2時や3時までも勉強をした。

元気なうちに無罪を勝ち取りたい。

早智子さんからーーー

今朝はうれしくて朝の4時に目が覚めていた。

初めて狭山に来たのは1997年。

今年は、死刑判決が出て60年、寺尾判決が出て50年、仮出獄となって30年。節目の年。

できるなら一雄さんの短歌集を作りたい。

最近一雄さんはよく転ぶようになった。

この春、新しく替わった家令裁判長は、1時間半に及ぶ狭山事件のプレゼンを聞いてくれた。

検察官からの抵抗を、「聞きましょう」と言って収めてくれた。

「徳島の会」は欠かさず狭山の地まで来てくれる。本当にありがたい。

お話のあと、マップに沿って、狭山駅を出発します。

殺害された日にお祭りが開かれていた荒神様。

当時はどこも雑木林や畑だったところも、今はほとんど住宅地。

ここだけわずかに、畑が広がります。

女子高生が殺害されたとされる現場です。

当時は雑木林だったそうですが、今は住宅地となっています。

女子高生があげたとされる叫び声は、近くで農作業をしている人にはまったく聞こえなかったというのですがー。

拠点となっている事務所の中には、当時の石川さんの自宅が再現されています。

有名な、女子高生が持っていたとされる万年筆が見つかったという鴨居です。

2回の大捜索で見つからなかったものが、3回目のわずかな捜索であっさり見つかった万年筆。

見つかった万年筆と、女子高生の万年筆のインクの色が違う。

万年筆には石川さんの指紋がない。

脅迫状と石川さんの文字は決定的に違う。

そもそも石川さんは文字自体が書けなかった。

などなどなどなど。。。

本当におかしなことばかり。なのに、なぜ裁判は開かれないのか。。。

最後に、一雄さんと一緒の記念写真を撮らせていただきました。

必ず無罪を勝ち取る。その思いをあらためて確かにしました。

その夜は早智子さんを囲んで、みんなで懇親会。

翌日は軽井沢に立ち寄って、日曜日の夜11時にようやく徳島に帰り着きました。

いつか必ず、無罪になった一雄さんを徳島に迎えて、ドンちゃん大騒ぎしたいです。

ー狭山事件とはー

今から61年前の1963年5月1日、埼玉県狭山市で女子高生が行方不明になり、脅迫状が届けられるという事件が起きました。

警察は身代金を取りに現れた犯人を、40人もの警官を張り込ませながら取り逃がしてしまいます。女子高生は後日遺体となって発見され、警察の大失態に世論の非難が集中しました。

捜査に行き詰った警察は、付近の被差別部落に見込み捜査を集中させ、何ら証拠もないまま石川一雄さん(当時24歳)を別件逮捕し、1ヶ月にわたり警察の留置場で取り調べ、ウソの自白をさせて犯人に仕立て上げます。

地域住民の「あんなことをするのは部落民に違いない」という差別意識や、マスコミの差別報道の中で冤罪が生み出されてしまったのです。1審判決は死刑。2審判決は無期懲役。1977年に無期懲役が確定し、現在は第3次再審請求中です。

第2次再審請求中の1994年12月21日、31年7ヶ月ぶりに仮出獄をした石川さんは、その後徳島出身の早智子さんと結婚をし、狭山事件の真相と公正な裁判を訴えて全国を駆け巡っています。

11人の証人尋問・新証拠の鑑定を裁判所に求める署名は、現在52万筆にのぼっています。

2024年05月12日