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これからの予定

「T-over人権教育研究所・人権こども塾」これからの予定です。

参加をご希望の方はご連絡ください。

私どもが伝えられる機会も残り僅かとなってきました。思いを同じくする方々、これからの時代を担う若い皆さんの参加をお待ちしています。

 

【10月】

10月4日(金) 八万中学校3年生第3回学年全体人権学習「私の目を見て!」 午後 八万中学校体育館

10月6日(日) 人権こども塾特別編②「SAG徳島秋のBBQ」参加 16:00~18:00 松茂町月見ヶ丘海浜公園

10月13日(日) 人権こども塾第10講「四国朝鮮初中級学校交流フェスタ」参加 7:00~18:00 四国朝鮮初中級学校(松山市)     

10月19日(土) 教育研究集会(主催徳島県教職員組合)で人権こども塾について報告 14:00~17:00 徳島県教育会館

10月26日(土) 「人権を語り合う中学生交流集会+'24」報告書作成会  14:00~ 藍住中学校

10月27日(日) 「負の遺産・アウシュヴィッツを訪れ、「戦争・平和」と「教育」を考える 一週間の旅」オンライン交流研修 19:00~21:00 場所未定

10月下旬 国連NGO横浜国際人権センター「語るかたるトーク」10月号発行

 

【11月】

11月3日(日) 人権こども塾第11講「みんなでトークオーバー・人権こども塾文化祭2024」開催 13:00~16:00 鳴門教育大学講堂

11月18日(月) 八万中学校3年生第4回学年全体人権学習「ふるさと」 午後 八万中学校体育館

11月23日(土) 人権こども塾第12講「子ども食堂・クレエール」で活動 8:50~14:00 NPO法人クレエール

 

【12月】

12月22日(日) 人権こども塾第13講「人権クリスマス会」実施 13:30~16:30 徳島県教育会館

2024年09月29日

お誕生おめでとう‼

本研究所クルーの島藤さんに第3子が産まれ、そのお祝いに行ってきました!

長らく赤ちゃんを見ていなかったので、本当に癒されました。ふにゃふにゃで、泣いても寝てても、あくびしてもかわいい。

今年になってすぐの1月、島藤さんには人権こども塾を請け負っていただきました。大根掘りなどの農業体験やお餅つきをさせていただいたり、語り合ったりと、本当に楽しいひとときを提供していただきました。もしかすると、あのときすでに、赤ちゃんはお母さんのおなかの中で参加していたのかもしれませんね。👶👶👶

誰にも同じくこんなときがあったのです。命の不思議と、私たちの出会いの奇跡を感じます。

どの命も、その命が思いのままにまっとうできるように、私たちはこれからも人権について学び合っていきたいと思います。

みなさんも島藤赤ちゃんに会ったら、親しく声かけをしてみてください。そして、新しい仲間の誕生を一緒に祝いましょう!

ちなみにT-over人権教育研究所では、共に取り組んでいく仲間のことを「クルー」と呼びます。

「クルー」とは、crew という単語で、「仲間、メンバー、撮影班、船員」という意味があります。また clue という単語もあり、「手がかり、きっかけ、糸口、筋道」という意味があります。いずれにしても、私たちにふさわしい呼び名として使っています。

 

2024年09月29日

部落解放文学賞50周年記念式典

「部落解放文学賞50周年記念式典」の記事↑と、そのときの記念写真↓が送られてきました。

そのときの雰囲気を、どうぞご覧ください。

2024年7月27日(土)13時から、アートホテル大阪ベイタワー4階アートグランドボールルームにて、部落解放文学賞50周年記念式典が開催されました。

まずはオープニングとして、鶴橋農楽による「プンムル(風物)」が盛大に披露されました。

【鶴橋農楽】朝鮮半島で豊作の祭りや雨乞いの儀式で叩かれている打楽器4つを使い、歩きながら陣形を作り、さまざまなリズムの音を打ち鳴らします。鶴橋周辺の在日韓国朝鮮人3世、韓国人1世、日本人などの構成メンバーで、結婚式や地域のお祝い、お祭りで活動しています。

そのあと受賞された方々に、実行委員会代表である鎌田慧さんから表彰状が授与されました。

そして全受賞者お一人お一人から、受賞の言葉が述べられます。

そして今回は特別に50周年であることを記念して、パネルディスカッション「50年の軌跡 ~部落解放文学賞のこれから~」が開催されました。

選者の皆さんから、一言ずつスピーチをいただきました。

文字を獲得するとは、人間の尊厳を回復させるということ。この文学賞受賞に誇りを持ってほしい。人は何のために書くのか。逆に識字とは、記憶力のすばらしさであり、日常こそが驚きと発見の宝庫である。言葉とは分断と結びつけである。小説とは記憶ではなく、思い出。そこには、個人的現実、空想的現実、社会的現実という3つの現実が存在する。

難しくもあり、かつ専門的でありつつも、ほおー、と思わせられる貴重な学びのお話でした。

そして最後に、皆さんで記念撮影をして散会となりました。

同じこの場に居合わせた方々とお話をさせていただき、新しい情報を得、新鮮な気持ちになることができました。

やはり人と人は、直接的な出会いが大切で大きいと、実感しました。

今回の文学賞について、「受賞のことば」や「選評」、また入選5作品を載せた「第50回部落解放文学賞増刊号(1000円)」が発刊されます。

私にも10部いただけるということですので、関心のある方はご連絡ください。送らせていただきます。 こちら  私の作品「おかえり」は載っていません。

以上、表彰式の報告でした。

2024年09月25日

「語るかたるトーク」2024年9月号

 国連NGO横浜国際人権センターでは、毎月「語るかたるトーク」という月刊誌を発刊し、人権啓発を行っています。

 月刊誌には、杉藤会長やハンセン病訴訟原告団長の林力氏、また全国各ブランチからの報告や、国連からの情報が掲載されています。

 うずしおブランチからも、毎月寄稿を重ね、人権啓発活動に役立ててもらっています。

 その寄稿したバックナンバーのすべてをここに記録しました。そして、これからも毎月の最新号をアップしていきます。

 どうぞご覧ください。 こちら

 

 定期購読をご希望の方はご連絡ください。

2024年09月25日

「おかえり」2024年7月26日徳島新聞

本日の地元紙、徳島新聞に掲載されていましたことを報告します。

小説「おかえり」のストーリーは、ここにもあるように、これまでの私の教員人生を物語るものであり、このあとに記してあるシンジさんの当時のストーリーでもあります。決して私が何かを求めて残そうとしたものではありません。したがって、ストーリーのほとんどすべてが、「事実」です。

その点においても、多くの人の目にふれられたら、という思いは強くありますが、このあと、この先は、私の力だけではどうしようもありません。。。

あと十日もすれば、またヒロシマがやってきます。ナガサキも。時代は前に進んだか、今も進んでいるか、いつまでたってもその繰り返しです。でもそれさえなくなってしまえば。。。

大きなことはできません。小さなこと、少しのことを、一つ一つ積みあげていくだけです。

これからも、どうぞよろしくお願いします。 よ

2022年9月19日付けの地元紙、徳島新聞1面のコラム、「鳴潮」に、当記者さんが原稿を書いてくださいました。

これはすごい!!!

記者さんとの出会いは古く、応神中学校勤務時代にまでさかのぼります。当時は平和学習についての取材だったのですが、その後もずっと覚えていてくださり、2021年3月17日に八万中学校体育館で行った、1・2年合同人権学習に取材に来てくださったのが事の発端でした。

そのときのテーマが部落問題で、シンジとはなちゃんに登壇してもらい、出会ったわけです。

当時の記録や人権だよりは、当HP「八万中学校」からご覧になれます。

今回、人権を語り合う中学生交流集会+’22にあらためてシンジが登壇したこと、その中身や決意、覚悟をお知らせしたところ、気持ちが大きく揺れ動いたらしく、記事に書いてくださることになりました。

 

県内外を問わず、同じような思いで気持ちが揺れている方、特に若者は多いと思います。そのような話は、個人的に教え子たちからも聞きます。

本当は揺れる必要などないことです。

堂々としていればいいし、隠す必要だってないことです。

にもかかわらず、どうして言えないのか。

言えない本人が弱いのか。

違います。

そこに差別を感じてきたから。

そこに差別があると知っているから。

そこに差別があるからです。

なければ、気兼ねなく言えます。言えないのは、この社会に、人を蔑んだり、バカにしたり、のけ者にしたり、いまだに非科学的な言い伝えを何の疑いもなく信じ込む風潮があるからです。

私たちは本当にちゃんと同和教育をしてきたのでしょうか。

ちゃんと残るような同和教育・人権教育をしてこられたのでしょうか。

「差別・被差別」の立場を起こしてきた当事者として、私は目を背けることができません。

これは、私の人間としての責務です。

 

物語は完結しません。

シンジの娘さんは、「これから」を迎えるのですから。

でも、私たちは知っています。彼女には大きな大きな、本当にたくさんのまだ見ぬ仲間がいるということを。

記事にすればこれだけですが、その脇には、ここに書けない多くの思いや出来事が、サイドストーリーがあります。今はそれをまとめているところです。何かの形になればと思っています。

物語は終わりません。

 

なお、今回シンジが登壇した人権を語り合う中学生交流集会+’22の記録については作成中です。作成でき次第報告書にしますし、当HPにもアップしますのでご覧いただければと思います。

2024年07月26日

八万中学校3年生第2回学年全体人権学習

7月5日(金)、徳島市八万中学校で、3年生による第2回人権学習「3年生人権作文意見発表会」を行いました。

中学生活最後の人権作文意見発表会です。3年間見てきて、成長の大きさを感じます。

わずかな時間ですが、全体の意見交換も行うことができました。そんな子どもたちの様子は、こちら からご覧になってください。

また、授業後の子どもたちの感想を中心にまとめた「人権だより」8号~11号も発行いたしました。こちらもどうぞご覧になってください。

2024年07月10日

久しぶりの狭山現調行きでした

2024年5月11日(土)~12日(日)に、反差別研修として、狭山現地調査に行ってきました。

行き先は、当たり前ですが、埼玉県狭山市です。

「狭山事件を考える徳島の会」などの仲間たちと共に、前日10日(金)の夜10時に藍住町に集合し、貸切のマイクロバスで出発です!

明け方、朝食をとって向かう途中に見える富士山がキレイ。

狭山に行く前に、熊谷市の「小江戸」に立ち寄ります。昔ながらの街並みが残る、風情のある観光地でした。

狭山に着いてまず、早智子さんに昼食に案内していただきます。

その後、お墓参り。

石川さんのお父さん、お母さんのお墓です。

「俺が無罪だということは両親が一番よく知っている。罪を背負ったままでは、両親に顔向けができない。無罪になるまで絶対に墓参りはしない。お墓に手は合わせない」

そう言う石川さんの代わりに、私たちは手を合わせ、墓前に誓います。

お墓から歩いて富士見集会所の会議室へ。石川さんと早智子さんから1時間ほどお話を伺います。

石川さんからーーー

24歳の死刑判決から60年。

読み書きできなかった不自由さ。せめて小学6年生まで学校に行けてればー。

父も母も識字だった。

貧しさのなか、年季奉公にも行った。

警官のなかには悪い人もいるが、いい人もいた。

刑務所の刑務官は、そんな俺に字を教えてくれた。刑務官の奥さんが、「クビになってでも教えてあげなさい」と言ってくれたから。8年間バレることなく、1日に1万字。深夜の2時や3時までも勉強をした。

元気なうちに無罪を勝ち取りたい。

早智子さんからーーー

今朝はうれしくて朝の4時に目が覚めていた。

初めて狭山に来たのは1997年。

今年は、死刑判決が出て60年、寺尾判決が出て50年、仮出獄となって30年。節目の年。

できるなら一雄さんの短歌集を作りたい。

最近一雄さんはよく転ぶようになった。

この春、新しく替わった家令裁判長は、1時間半に及ぶ狭山事件のプレゼンを聞いてくれた。

検察官からの抵抗を、「聞きましょう」と言って収めてくれた。

「徳島の会」は欠かさず狭山の地まで来てくれる。本当にありがたい。

お話のあと、マップに沿って、狭山駅を出発します。

殺害された日にお祭りが開かれていた荒神様。

当時はどこも雑木林や畑だったところも、今はほとんど住宅地。

ここだけわずかに、畑が広がります。

女子高生が殺害されたとされる現場です。

当時は雑木林だったそうですが、今は住宅地となっています。

女子高生があげたとされる叫び声は、近くで農作業をしている人にはまったく聞こえなかったというのですがー。

拠点となっている事務所の中には、当時の石川さんの自宅が再現されています。

有名な、女子高生が持っていたとされる万年筆が見つかったという鴨居です。

2回の大捜索で見つからなかったものが、3回目のわずかな捜索であっさり見つかった万年筆。

見つかった万年筆と、女子高生の万年筆のインクの色が違う。

万年筆には石川さんの指紋がない。

脅迫状と石川さんの文字は決定的に違う。

そもそも石川さんは文字自体が書けなかった。

などなどなどなど。。。

本当におかしなことばかり。なのに、なぜ裁判は開かれないのか。。。

最後に、一雄さんと一緒の記念写真を撮らせていただきました。

必ず無罪を勝ち取る。その思いをあらためて確かにしました。

その夜は早智子さんを囲んで、みんなで懇親会。

翌日は軽井沢に立ち寄って、日曜日の夜11時にようやく徳島に帰り着きました。

いつか必ず、無罪になった一雄さんを徳島に迎えて、ドンちゃん大騒ぎしたいです。

ー狭山事件とはー

今から61年前の1963年5月1日、埼玉県狭山市で女子高生が行方不明になり、脅迫状が届けられるという事件が起きました。

警察は身代金を取りに現れた犯人を、40人もの警官を張り込ませながら取り逃がしてしまいます。女子高生は後日遺体となって発見され、警察の大失態に世論の非難が集中しました。

捜査に行き詰った警察は、付近の被差別部落に見込み捜査を集中させ、何ら証拠もないまま石川一雄さん(当時24歳)を別件逮捕し、1ヶ月にわたり警察の留置場で取り調べ、ウソの自白をさせて犯人に仕立て上げます。

地域住民の「あんなことをするのは部落民に違いない」という差別意識や、マスコミの差別報道の中で冤罪が生み出されてしまったのです。1審判決は死刑。2審判決は無期懲役。1977年に無期懲役が確定し、現在は第3次再審請求中です。

第2次再審請求中の1994年12月21日、31年7ヶ月ぶりに仮出獄をした石川さんは、その後徳島出身の早智子さんと結婚をし、狭山事件の真相と公正な裁判を訴えて全国を駆け巡っています。

11人の証人尋問・新証拠の鑑定を裁判所に求める署名は、現在52万筆にのぼっています。

2024年05月12日

「カムイのうた」観てきました

2週間前、北海度の地に足を踏み入れ、先週は映画「ゴールデンカムイ」を観、夜にはEテレで二風谷のドキュメントを観、そして今日、映画「カムイのうた」を観ました。

アイヌにどっぷりと浸る2週間でした。

観るにつけ、知るにつけ、シサム(和人)の野蛮さ、身勝手さばかりが目につく。

すべてがそうであったわけではないだろうが、どうしてシサムはそうなったのか。

昔からそうなのか。

それとも、何かがそうさせたのか。

今もそうなのか。

自分はどうなのか。。。

映画を観て思うこと。

ユーカラ、アイヌ神謡集は、アイヌの人々の人権宣言ではないかということ。

その思いを強くした。

とき同じくして、大正11年3月1日。

水平社創立3月3日と2日違い。

世界も日本も、その時代背景があるとはいえ、その奇遇に驚かされます。

知里幸恵さんの、瑞瑞しく、美しい言の葉の表わしに、「知識」を身につけることではなく、「感性」を育むことの大切さを思い知りました。

 

2週間前に札幌でご挨拶いただいたアイヌの会代表出原昌志さんのお話が、本日徳島であります。

残念ながら聴くことはできませんが、紹介いただいた、アイヌの地旭川への想いは高まりました。

いつか時間ができれば、SDGsの体現であるアイヌ文化を、あらためてカムイの地に学びに行こうと思います。

いつか、必ず。

2024年02月10日

第29回悠美展

徳島県退職教職員協議会主催の第29回悠美展で、人権こども塾の取組がパネル展示されています。

パネルは3枚。

1枚は、「みんなでトークオーバー人権こども塾文化祭2023」のときの皆さんの様子。堂々と、緊張しながら、それでもイキイキとステージで語る姿を、散りばめました。

2枚めは、昨年徳島新聞で掲載された記事に、「四国朝鮮学校交流フェスタ」や「親と子で人権を考えるつどい」の様子を重ねました。

3枚めは、これらのにぎやかな写真に、ホームページのQRコード、新規・2024年度募集のチラシを入れ、見ていただく皆さんへのお知らせとしました。

と き 2月1日(金)~10日(日) 朝10時~17時(最終日のみ16時)

ところ ホテル千秋閣(徳島市役所南) パブリックギャラリー

他にも、会員の皆さんの絵画や書道、写真なども展示されていますので、どうぞご覧ください。

また会場には記名簿が置いてあります。見学の際は、お名前をお書込みください。どうぞよろしくお願いします。

2024年02月01日

全国教研で報告しました

2024年1月26日から28日まで、第73次教育研究全国集会が開催されました。

初日26日に間に合わせるため、前日25日に徳島を出発したのですが、当日北海道は暴風雪警報。

徳島から羽田まで飛行機は飛んだものの、乗り継ぎ便はどうしても新千歳空港には着けず、欠航。

別の便の空席やキャンセル待ちを試みたのですが、これも長蛇の列。

東京に泊して翌日のフライトも考えたのですが、これも目途が立たず。。。

結局、「これも経験!」と気持ちを切り替え、陸路!北海道に向かう決断をしました。

17:20東京駅発「はやぶさ39号」

埼玉、福島、宮城、岩手を過ぎ、初の青森、青函トンネル、そして北海道上陸。

景色は真っ暗で何も見えませんでしたが、私は津軽と函館の駅弁を食べることができました。

翌日26日、函館北斗駅から特急に乗り込み、途中「ウポポイ」を横目に、ようやく分科会場「人権教育」に参加します。

1日目。午後から始まる全22本のレポートの1本目(8分以内)は、奈良から来られている若い女性の先生でした。初めて学級担任を受け持ったレポート「もう行けないんです。」でしたが、これが、凄かった。レポートにはこう書かれていました。

「(2)学級開き 私は自己紹介で、「第一声」という自分の生い立ちから語るようにしている。……」

母子家庭で育ったこと、学校で感じてきた不安感、教師になった理由、だからこんな学級にしたい、ということを語ったというのです。

どうして?

どうして、「している」なのか、もう訊きたくて訊きたくて仕方ありませんでした。いくつかの質問に答えるなかでレポーターは答えました。

「学級開き」とはそういうものだと、同学年の先生方から教わった、と。

「やられたー!」と思いました。「学級開き」も「第一声」も、徳島ではもう死後になっているような言葉です。でも、自分も含め、かつては徳島でも大切にしてきた取り組みです。どうやって「学級開き」をするのか、そのとき教師は「第一声」として、子どもたちに何を伝えるのか、どんな学級をつくっていきたいのか、まさに「自分を語る」ことをしていました。

何事も始めが肝心です。そこを曖昧にしたり、いい加減にしてしまうと、逆にあとあと収集がつかないようなことなってしまいます。だからこそ、「学級開き」初日に勝負をかけに行くかのように、「第一声」の取組を重要視してきたのです。

2本目は、私の左隣に座っていた福岡の方のレポート「自分を語ろう、そしてつながろう」でした。班ノート(リレーノート)や修学旅行でのクラスミーティング、絵葉書の取組についての報告でした。

私がしてきた取り組みと本当によく似ているレポートでした。

どうして?どうして?と、しつこく訊く私に、どんどん自分を深掘りしていったこの方は、2日目、3日目と、どんどん語る内容が濃くなっていきました。語るたびに、広がっていた霧が晴れていくような感覚でした。根っこに自分の生い立ちがあったことに気づいたといいます。

やはり「自分を語る」ということは、その人のありのままの人柄が見えるということだと思います。

……書いていけばきりがありません。

大分の「どうしたん?」をレポートした方の、真っ直ぐで純粋な報告にも感銘を受けました。自分を見つめ、家族を見つめ、母親との確執を乗り越えようと、2日目には「これから母に電話をする」と宣言をし、3日目にはその報告をするという場面も。

沖縄、鹿児島からは、「地区を子どもには教えない」と保護者に言われたこと。三重からは韓国・朝鮮とのかかわりについて。

そして徳島からは、「みんなで語り合う人権学習は、すべてを変える~T-over人権こども塾の取組~」を報告させてもらいました。その内容については、今さらなのでここには記しませんが、人権について学びを重ね、対話を重ねることによって、子どもたちは思わぬ成長を遂げていくことを、具体的な事実をもって報告させてもらいました。

この日の夕食は、参加メンバーで、札幌一美味いジンギスカンの店でした。心もお腹も満たされた一日でした。

2日目、長野、千葉、北海道、大阪、兵庫とレポートがつづきます。

鳥取高の「娘には関わらないでほしい」には、胸がずきんとしました。親の思いをていねいにすくいあげることの大切さが語られました。

山口の方とは、川口泰司さんの話で盛り上がりました。

神奈川の若くて元気はつらつとした報告には元気をもらいました。代わりに、国連NGO横浜国際人権センターの月刊紙「語るかたるトーク」を1部プレゼントさせていただきました。「部落」の意味を知らないことにも驚きましたが、場所や世代によってはそういうこともあるということが、あらためてよく分かりました。

長崎の「わたしは「最強」からの「脱却」」からは、教師が一方的に決めていたことを、子どもたちの自治に委ねていったという報告でした。大変共感できる内容で、人権教育を進めていけばこうなる、ということがよく伝わってくる報告でした。

佐賀、熊本、熊本高。この熊本からの2本のレポート「出会い~これからを生きていくために~」と「自転車にのれなかったときのことを振り返ってみると」には、釘づけになりました。先のレポートは、水俣にかかわっての取組で、後のレポートは、55歳で支援学校に入学してきた生徒との取組だったのですが、釘づけになったのは、お二人とも、自分が部落出身の教師であるということを公言したうえで、自分や家族の有り様を誠実に、ていねいに語り切ったところでした。レポートにもあるように、「子どもに自分のことを語らせるなら、自分のことも語らんね。」と先輩教員から言われたこともあると思います。前日に森口先生が、自らのことを語り切ったこともあるかもしれません。にしても、このお二人の報告には胸が震えました。胸が熱くなりました。だからこそ、その取り組みがしっかりしていくのだと確信しました。今回、この会に来られて本当によかったと思わせられたレポートでした。

宮崎のレポート「「ことば」で伝える~わかってほしい私の思い~」も、自分のことをちゃんと明らかにしたうえで、子どもたちと仲間づくりに取り組んでいる報告でした。

最後の鹿児島高からは、島差別の思いを抱えた取り組みが報告されました。

朝からの長かった一日は、あっという間に終わりました。本当に濃い、充実した学びとなりました。

3日目は総括討論として、5つの討議の柱に寄せて、手を挙げた方が5分という制限のなかで意見を述べていきます。

(1)徳島、熊本高

(2)神奈川、三重、奈良、鳥取高、福岡、長崎、大分

(3)千葉、徳島、鹿児島、大阪

(4)北海道、兵庫、山口、沖縄、熊本

(5)佐賀

そしてまだ時間があったので、さらに神奈川、徳島、徳島、熊本、熊本高と意見を述べていきました。

私たちからは、熊本や神奈川の先生、そして奈良や大分の先生にエールを贈りながら、教師自らが「自分を語る」ことが、人権教育・人権学習の原点でありスタートだということ、これからも互いにつながりあいながら頑張っていきましょうと、あらためて伝えさせていただきました。

3人の共同研究者それぞれからも、最後に総括がありました。

そのなかで、人権こども塾の取組にふれて、「家庭でも学校でもない、人権を軸にした第3の居場所があってもいいかと思います。皆さん、徳島に行きましょう」との言葉をいただいたことは、大変大きな勇気と励みになりました。

この日は午前で終えたのですが、本当に中身の濃い、充実した時間でした。本来の人権教育の方向性を確かめられた時間となりました。そして、やっぱりやっていきたい。もっとやっていきたいと思わせられました。私たちに残された時間はあまりないのですが。。。

この日は、せっかくだからと、隣町の小樽に行ってみました。かつて海運や貿易で栄えた街です。有名な小樽運河にも行きました。でも、あまりにも韓国や台湾の観光客が多く、写真を撮ってもらうにも一苦労。

最終日は、朝早くホテルを出て、空港までの間にある北海道日本ハムファイターズのエスコンフィールドへ。スタジアムツアーの予約を入れていたのです。

昨年できたばかりの新球場は、これまでのイメージにある球場ではなく、ボールパークでした。

約1時間かけて、キツネダンスのガイドさんが、球場内を案内してくれます。

年間契約席、プレミアムルーム、歴代監督コーナー、作戦会議室、監督室、選手ロッカー、記者会見室、どこも本当にきれいで、ステキ。スタバコーヒーは選手飲み放題だそうです。

ベンチでは、新庄監督席にも座らせていただきました。

それと、そうそう、あのダルビッシュ有選手も大谷翔平選手も、ファイターズの選手でした。その写真や巨大な壁画も。「11」が至る所に強調されていましたが、それもお二人の背番号にちなんでのことなのだそうです。

本当に夢のある世界です。

夢は、人が人として大切にされて初めて輝けます。

どんな世界にも人権が尊重されるために、それを実現していける人材を、これからもつくり続けていきたいと思います。

そんな人材と共に、新しい世界をつくり続けていきたいと思います。

2024年01月29日

2024年はじまるよ!

新年明けましておめでとうございます。本年も、どうぞよろしくお願いします。

 

昨年は、当研究所としても、人権こども塾としても、大きな飛躍となった年でした。新たで刺激的な出会いもあり、「扉が開かれた」感がありました。その存在が、私たちに元気と勇気を与えてくれたことは間違いありません。まだ見ぬ道が見えてくるようでした。

 

また、中高生の踏ん張りには目を見張るものがありました。ドジャース入りした大谷選手が、「全国すべての小学校に」と送ったはずのクリスマスプレゼント。届かない学校があるとの情報を寄せてくれました。朝鮮学校です。交流学習をしたからだとは思いますが、そんな身近な「おかしさ」に目を向けられることに、頼もしさを感じるとともに、「こんな中高生がいるなら、世の中は変えられる」と、久々に思わせられました。

 

コロナ禍のとき、スポーツや音楽に勇気や希望を感じ、その存在を再認識し、大いに励まされました。とはいえ、「Merry Christmas」も、「Happy New Year」もないウクライナやイスラエルのニュースを見るたびに、「浮かれている場合ではない」とも思わせられます。SDGs「16.平和と公正をすべての人に」とありますが、何ら守られていません。そして、SDGs「4.質の高い教育をみんなに」のうちの、4-7。

SDGs「4-7.2030年までに、教育を受けるすべての人が、持続可能な社会をつくっていくために必要な知識や技術を身につけられるようにする。そのために、たとえば、持続可能な社会をつくるためのや、持続可能な生活のしかた人権や男女の平等平和や暴力を使わないこと世界市民としての意識さまざまな文化があることなどを理解できる教育をすすめる。」

そんな教育に大転換、大変革することを強力に、大胆に行っていく必要性を強く感じます。

特に私はすぐに浮かれてしまう人間なので、浮かれ切ってしまわないことを、肝に銘じたいと思います。

 

人権こども塾は今年3年目を迎えますが、新しいメンバーが加わることで、新たなフェーズに入る予感があります。繰り返しと積み上げの両面が必要になるかもしれませんが、こどもたちの力を信じ、邁進していこうと思います。

 

今年のT-over人権教育研究所・人権こども塾の活動計画です。

1.「人権こども塾3期生」の募集・開催

新規(3期)生募集、新(2024)年度生募集は始まっています。2023年度生、2期生の期間も残り3ヶ月となりました。

2.「人権を語り合う中学生交流集会+」へのかかわり

こども塾生の多くが中2生ですが、その子たちにとっては中学生として最後の集会となります。どんな活躍をみせるのか楽しみです。

3.「鳴門市人権地域フォーラム」へのかかわり

様々な立場の大人同士が、大人とこども塾生が共に学び合うという貴重な場が、コロナ禍を経て拡がりをみせることを願っています。

4.国連NGO横浜国際人権センター月刊誌「語るかたるトーク」への寄稿

今年も、この1年の出来事やその時々の思いを、記録として残していきながら、全国の多くの仲間に読んでいただければと思います。

5.「みんなで語り合う人権学習」の実践と啓発

私たちの基本理念です。様々な人権課題について「自分を語る」ことに、どれだけの可能性が秘められているか。今居る場所で、中1、中2、中3と積みあがった中学生がどうなるかを、多くの先生方と見届けたいと思います。

6.「ライフ・ツーリズム」の開発と推進

瀬戸内を中心とした、人権にまつわる各所を巡る旅のネットワークを拡げていきたいと思っています。みなさんも一緒に旅しませんか?

 

人権をベースにつながった多くの仲間と、おもしろいこと、楽しいことを共に分かち合える1年にできればと思います。立場を越えていつまでも!

リーダーとして、またフォロワーとして、どうぞつながり続けてください。

本年も、どうぞよろしくお願いします。m(_ _)m

2024年01月01日

10月28日徳島新聞に掲載されました!

10月28日の徳島新聞で、T-over人権こども塾の取組が掲載されました。

今回は、1週間後に文化祭を控えてのアピール記事でもあります。

この記事で、より多くの方が関心を持ち、来場してくれることを願っています。

記事にしてくださった記者さん、本当にありがとうございました。

2023年10月28日

追悼 谷村新司さん

「サライ」との出会い、第46回全国同和教育研究大会徳島大会での取組。

翌年の徳島市文化センター楽屋裏での対談。

いつもいつもていねいに、優しく接し、お話してくださった姿は今でも脳裏に焼きついています。

それぞれの歌詞に、あらためて思いを馳せたいと思います。

同和教育を通じて縁があった谷村新司さんの訃報にふれ、深い深い哀悼の意を表します。

2023年10月17日