八万中学校3年生第1回学年全体人権学習

2024年4月26日(金)、徳島市八万中学校で、3年生全体人権学習を行いました。

新学期、最上級生となり、その1年のうったてとなる節目の授業です。

今回の資料は、詩「峠」(真壁 仁)です。私が学級担任をもっていたころ、節目節目に大切にしてきた資料です。

子どもたちには事前に「人権だより」に載せる形で読んでもらい、それぞれに考えを深めてもらっていました。

授業の冒頭、この2年間の、学年全体学習の歩みについてふりかえります。

1年生、「語り合う」ことは人権学習の基本であることを説きました。また、SDGsや災害、防災学習のこと、「吾唯足知」について。

2年生、人権作文のことや、平和学習、思ったことが言える社会をつくっていこうと話しました。また、「恥でもないことを恥じるとき、本当の恥となる」について。

そして、今回の問いについて。。。

問1.あなたはこの詩のどの言葉に惹かれますか。それはどうしてでしょうか。

例えば,「訣別,ひとつをうしなう,大きな喪失,別れ」…あなたがこれまで経験した,またはこれから経験する「別れ」について語ってください。

例えば,「明るい憂愁,すぎ来しみち,ひとつの世界,見えるかぎりの風景」…あなたの失敗や成功,悲しみや喜びなど,「思い出」について語ってください。

例えば,「別個の風景,あたらしい世界,ひらけくるみち,行手」…あなたが思い描く「夢」について語ってください。

まずはこれらについて、5分間だけ班での共有をしていきます。その後、全体で語り合います。(一部抜粋)

1-③:「すぎきし道」がとても心に残りました。私には一つ大きな悩みがあって,それは肌のこととか髪のことです。私は家族のなかで私だけみんなとは違って,肌はすごい乾燥とかしてて,髪もすごいうねったり,ちりちりになってて。なんでみんなとは違うんだろうとか,なんで自分だけこんな苦労をせなアカンのだろうとか,何回も思いました。それで一回,母に八つ当たり的なことをしてしまって。今思えば,産んでくれた人に何を文句言ってたんだろうとか,凄い悲しませただろうなと思います。でもこのことをきっかけに,縮毛矯正をすることになりました。一番初めにかけたときは,凄い自分の髪じゃないみたいとか,いっぱい思いました。今でもすごいうれしかったのを覚えています。

1-④:ボクは「訣別」という言葉に惹かれました。小学校の卒業式では,6年間過ごしてきた場所にもう行けなくなるんだなと思って悲しくなりました。1年後,この八万中学校では友達との別れを経験することになると思います。まだやり残していることもたくさんあると思います。だからこそ,今を大切に生きていこうと思います。

1-⑤:私が一番惹かれた部分は,「一つの世界に別れねばならぬ」というところです。理由は,一つを選ぶっていうことは,その他を選ばないということで,どれだけ自分が望んで選んでも,違う可能性もあったっていう事実は確かだなと感じられて,今,自分の進路を決めるというところに共感できたからです。また,今新しいことをやってみるか,今までやってきたことを続けるかという迷いがあるので,それを表していると思ったからです。

1-⑪:私が心に残ったことは「別れ」です。私が体験した別れは,お姉ちゃんが高校進学の関係で新潟に行ってしまったことです。一緒に過ごしていたころは文句もあったけれど,急に姉ちゃんがいなくなって,そのあと少し寂しく感じました。新潟と徳島ではすぐに会える距離ではないので,年に一,二回しか会えません。会ったときは一緒に買い物をしたり,外で遊んだりして一緒に過ごす時間を大切にしています。今過ごしている友達や部活のメンバーとも,一年もないうちに別れていってしまうと考えると,残りの時間を後悔しないように過ごしていきたいと思いました。

1-⑫:私がこの詩で惹かれた言葉は,「大きな喪失に耐えてのみ 新しい世界がひらける」です。自分が何かを決断するとき,これまで自分が築き上げてきた人間関係だったり,環境だったりを失うのが嫌で,なかなか決断できないことがたくさんありました。自分で決断したことであっても,あのときは楽しかったのに戻りたい,と前の環境への未練が今でもあったりします。私が惹かれたこの言葉のなかで,「耐えてのみ新しい世界が開ける」という言葉が,今の自分の中途半端な感情と,自分がもつ夢のことを表しているように思えて,背中を押してくれる言葉だと感じました。

それぞれのうちに秘めていた思いや別れ、悩み、だからこそ「今」を頑張っていきたいという純粋な思いが語られていきます。

当たり前は、当たり前ではない。そのことを失って初めて気づく。分かっていたつもりでいたけれど、やはりそれは失って初めて、本当には分かってなかったということを思い知らされます。

みんながどんな思いで過ごしているかは、やはり聞かないと分かりません。聞いて初めて分かります。想像力を働かせることは大事だけれど、なかなか働かせられなかったりもします。だからこそ、人の思いにふれることの大切さを思い知ります。

1-⑭:私は,「道はこたえない」と,「道は限りなく誘うばかり」という言葉に心を惹かれました。私はまだ将来の夢とか,やりたいこととかは特に決まっていません。そしてテレビやネットでいろんな職業を見ていると,どれも楽しそうで,どれもに心を惹かれるような感じがします。でも誰かに,この仕事に就くことを目標にしようかなと聞いても,きっと完璧な答えは返ってこないと思ってます。そんなところが,「道はこたえない」と,「道は限りなく誘うばかり」という言葉に重なったから,きっと私はこの言葉に惹かれたんだと思いました。考えてみると,自分の人生の道は自分自身で決めるから,当然その先の答えを知っている人も,答えを言ってくれる人もいないと思います。でも支えてくれる人や,途中まで一緒に歩いてくれる人はきっといるから,私はそういった人たちを大切にしていきたいと思いました。

1-⑮:私は,「明るい憂愁」という言葉に惹かれました。なぜなら私は中学校生活で多くの経験をし,思い出があるからです。協力し合い,やる気に満ちた体育祭。一人一人が考えた文化祭と,いろいろな行事があるとともに,日常生活での思い出もたくさんあります。日常生活では明るくあいさつを返してくれる友達。寄り添ってくれる友達。たくさんの人がいて日常は成り立っているんだと感じました。私はドジで,何もないところでつまずいたり,抜けているところがあるけど,そこが好きといってくれる仲間がいて,そのとき私は胸がホッとしました。自分がダメなところだと思っているところを,褒めてくれたり,拒否しないのが私にはすごく嬉しかったのを覚えています。やっぱりこの学年はステキな人がたくさんいるんだなとあらためて感じました。

1-⑯:前の人権学習でも,ひいおばあちゃんのお話をしたと思うんですが,その認知症のひいばあちゃんのことで,前の土曜日に突然電話がかかってきて,そのひいばあちゃんが,手の動脈が1時間おきに30回ぐらいしか動いてなくて。一応手術はしたっぽいんですけど,でもそのとき知らされた私には,昔の記憶が多くよぎって,ひいばあちゃんとの思いが,今の思いもそうだけど,どの思い出よりも大きくなっていました。今は病院で念のために入院してるんですが,ひいばあちゃんにもし私ができることがあるならば,どんなことでも頑張って乗り越えていこうと思います。

1-⑲:ボクはこの詩を読んだときに,二つの体験を思い出して。一つ目が,最近祖母が亡くなったことと,二つ目が,病気で必死に闘っていた子が亡くなったことで。祖母が亡くなったことも,もちろんすごく落ち込んで。特に病気と懸命に闘っていた子が亡くなったこととかは,その子はたくさんいろんなことを我慢して,他の人よりも何十倍も我慢して頑張っていたのに神様は救ってくれなくて。自分もすごく落ち込んで。世の中が本当に不平等なことばかりに溢れていて。そんなことにすごく腹が立って。なんか暗い気持ちで味気のない生活になったんですけど。そのときにこの詩の,「一つを失うことなしに 別個の風景に入っていけない」っていうところを見て,この言葉の「失うことなしに」は,ボクのさっき言った体験で言ったら亡くなったことですけど,なんか失うっていう言い方は嫌なんですけど,でも,「別個の風景に入っていけない」っていうのは,さっきの体験をずっと落ち込んでいるばかりじゃなくて,それに自分が何ができるかを気づいて,何をするべきかっていうのを考えるのが,新しい風景に行くことなんだと思いました。特に身内との時間をボクはあまり大切にできてなかったので,身内との時間を大切にしたり,生きたくてもなかなか生きれない子がいるということを頭に入れたら,自分の性格や発言に現れてくるんじゃないかと思って,反省の気持ちとか,これからの生き方も学ばせてくれました。

1-㉑:私は,「一つを失うことなしに 新しい世界に入っていけない」というところと,「新しい世界が開ける」というところが心に残りました。理由は,1年後には私たちも八中を卒業して新しい進路に進んでいると思うので,この部分が重なると思いました。中学校を卒業するから,友達とか今までの思い出とか,友達を失った感じがあると思ったけど,これからある行事とかで,失っても楽しかったなみたいな感じで,後悔しないように,これから学級での行事とかを頑張っていきたいなと思いました。

努力は必ず報われるのか。報われない努力もあるのではないか。

オキナワで理不尽に亡くなった命。ヒロシマやナガサキで一瞬にして亡くなった命。

そんななかで努力をしていた人もいたはず。特攻隊もそう。みんなと同じ15歳で散っていった命もある。

差別があることで生まれてこない命があることを、前回発言してくれた。差別を肯定すれば、生まれない命があることを、みんなは示してくれた。

いったい人の命とは何なのか。

つづいての問いに移ります。。。

問2.いよいよ中学生活最後の学年となりました。このような学習ができるのもあとわずかです。今のあなたにとって,「峠」とはなんでしょうか。あなたにとって,このような「人権学習」の時間にはどんな意味がありましたか。自由に語り合いましょう。

班で共有する前に、「教科書無償化運動」について少しだけ紹介させてもらいました。

放っておいては得られなかったということです。

また、「わたしの願い」には他にも、「日本の人権獲得の歴史 現代」にかかわる資料がたくさんあり、そのそれぞれをしっかり学んでいってほしいことを伝えて、班での共有に入っていきました。そして、全体での語り合いです。(一部抜粋)

2-③:私にとって峠とは,目標だと思いました。なぜなら,峠にたどり着くにはたくさんの努力と苦労が必要なように,目標を達成するにはたくさんの努力と苦労が必要だと思ったからです。吉成先生がさっきおっしゃったように,努力は必ず報われるかっていわれたら,私も報われないと思いました。けど報われないからしないんじゃなくて,何事にもチャレンジして,目標を達成できるようにしたいです。

2-④:私にとっての峠は,受験をすることです。私は長女で,姉も兄もいないし,いとこも私より年下だから,受験がどういうもので,どんなことをするのか具体的にははっきりわかりません。なので,心配です。私は継続という言葉が今年にとって大事かなと思います。何事にも続かなければ意味がないし,苦しいことや悲しいことも,この一年たくさんあると思います。諦めるという選択肢もありますが,継続よりも簡単なことですが,私は諦めることをしたくないです。理由は志望校に合格して,自分の夢をかなえるための第一歩を進みたいからです。

2-⑤:今の私にとっての峠とは,受験のことだと思います。勉強が嫌になって,テストで思うように点が取れなかったり,それで自分に自信がなくなったり,そういう悪い流れが受験前に起こりうることだと思うので,それが峠の性質に似ていると思ったからです。それでも,これまで学んだ人権学習を通して,過去の人々の努力を見て,私もこんな人になりたいという思いがあるので,頑張ろうと思います。今思えば,「恥でないことを恥と思うとき,本当の恥となる」という言葉に,ずいぶんと救われたと思います。テストでどれだけ友達に馬鹿にされても,発表で間違えたりとか,自分の感性を否定されたりとか,どんな些細なことでも,私の感性はその言葉にとても救われたと思います。この言葉に会えたのは人権学習のおかげだとも思いました。これからも主体的に学習に取り組み,誰かを救える,共に闘える,そんな存在になりたいと思いました。

2-⑨:私にとって峠とは,人生の分かれ道だと思っています。私たちは常に選択しながら生きています。今日何を食べるかなどの些細なことから,どの高校に進学するかなどの重要なことまで,自分で考えて自分で判断していきます。山頂まで登ったあと,どの道を選んで下っていくかによって,これからの未来が変わっていくと思いました。楽な下り道もあれば,降りるのが難しい下り道もあると思います。どの道を選ぶかは自分次第です。だから私は,この選択をして良かったと思えるような決断ができるように,今から将来のことについてしっかり考えていきたいと思いました。

2-⑩:私にとってこれまでの人権学習は,これから社会に出て必要な力,今ふれている周りのみんなと,上手く付き合い,向き合う力をつけてくれる時間です。誰かを傷つけないために,自分の意見をぶつけ合い,学んでいく機会は,これからほとんどできなくなるかもしれないから,今できる最大限の人権学習に取り組みたいです。

2-⑬:私にとっての峠とは,自分を見つめ直し,新しい自分になるものだと思います。人権学習では,たくさんのステキな人の思いを知ることで,自分もあの人のようになりたいとか,今の自分のここを変えたいと自分を見つめ直し,レベルアップした自分になることができました。成長させてくれた人権学習には,とても感謝しています。

2-⑭:私にとっての峠は,自分のマインドとの勝負ということだと思っています。個人的には峠は毎日あって,毎日峠を上り詰めるために,自分に負けないように頑張っています。私が過ごした人権学習は,自分の価値観で終わることのない時間になったと思います。自分以外の他人の意見を聞くことで,違う視点から考えることのできる時間にできると思います。でも他人の意見に左右されて,自分の意志まで変えてしまうことが過去にあったから,そういうことになる学習にはしたくないなと思います。

2-⑰:私にとっての峠は高校受験で,きっとこの先も大学受験だったり,就職とかそういうので,頭を悩ませる日がくるのでしょう。そうするごとに,人権に対する意識が低くなってしまうような気がします。高校生になっても人権に対する意識を下げないで,できれば上げられるようにするために,普段から人権意識をもったり,ニュースを取り込んでいきたいと思いました。人を傷つけないために,もっと人権学習をしていきたいです

2-⑱:私にとって峠とは,ときに悩み,迷いながらも選択することだと思います。中学3年生になって初めての受験生になって,志望校や成績で悩んだりしている現在も峠だと思います。このような人権学習の時間は,自分自身の大切さと,他人の意見の大切さを学んでいく時間だと思います。班で伝えたり,発表を聞いたりしているとき,他人を知るための大切な時間だったと思います。

2-⑲:ボクにとっての峠は今です。高校に行くために勉強をいっぱいしないといけないと思いました。今まで勉強を全然していなかったので,3年生になって勉強をします。最近授業も聞いて勉強も分かるようになってきたので,今からやっても遅くないなと思いました。

2-⑳:私にとっての峠は,受験だと思います。受験が終わって高校生になったあと,今みんなでやっている人権学習で学んだ自分の意見の伝え方や,人の意見の聞き方とかがすごく生かされると思うし,今この学年で意見を伝え合う会話をしていることで,私は個人的に,この学年の人と会話というか,クラスとかでもものを言いやすくなって,いい雰囲気になったなと思うので,人権学習ができてすごく良かったなと思います。

2-㉑:今の私にとっての峠は,自分自身だと思っています。受験とかも人生において大きな峠ではあるけれど,まずその前に私は,今の自分自身を越えていかなければいけないと思っています。私は努力することが嫌いです。頑張るとか熱心とか言われても,前はよく分かっていませんでした。でも中学に入って人権学習を受けていると,吉成先生が熱心に生徒に対して人権を語って,それにつられて生徒も考えたり,発表したりして頑張っていて,「あー,頑張るとかっていうことはこういうことなんだ」って思えました。私にとって人権学習は,頑張ることや努力すること,それを継続することを知るという意味があったと思います。それでも私はやっぱり努力することが嫌いで面倒くさくて,自分に負けてしまうときがあります。だから学ぶだけじゃなく,知ったなら行動に移し,自分という峠を越えていきたいです。

2-㉔:私にとって峠とは,夏のコンクール,または卒部のときだと思います。小学校も合わせると,ほぼ8年やってきた吹奏楽を,一瞬とはいえ止めるということは,私にとって今までにないことだからです。もちろん高校に入ったときに,吹奏楽をやるのかやらないかは,まだ分からないですが,卒部したあとは確実に,今現在していることとは違うことをやる期間になるのではないかと思います。また私にとっての人権学習は,世界を知るツールでもあれば,自分自身と向き合う時間でもあったと思います。この2年で私自身のことをより深く考えられるようになったと思います。

2-㉘:私にとっての峠とは,学ぶことです。どんどん知りたいという気持ちを糧にして学び登り詰めていけば,結果は返ってきたときに達成感を感じて,そういうところが峠を登っていって頂上に着いたときの達成感と同じ感じがするのかなと思ったからです。人権学習も,私にとっての学ぶことに当然入っていて,人権学習で他の人の意見を聞くことが,私にとってはすごい楽しいというか,新鮮な感じがして,いいなと思いました。人権学習をしていくなかで,私は自分自身の心の声がはっきり聞こえてくるようになって,この人権学習の時間は自分自身を見つけることができて,みんなにも私のことを見つけてもらったという感じがしました。これからもこういった体験とかを大切にしていけたらいいなと思います。

2-㉙:私はこれまで人権学習に参加してきて,1年の時の自分と比べると,本当に人権学習に真剣に取り組むようになりました。正直に言うと,最初は人権学習に興味がありませんでした。でも人権学習をしていくなかで,自分の中の何かが動かされて,いつの間にか興味がわいてきました。それは発表する人,吉成先生の熱い思いを聞いていたからだと思います。そのとき自分は本当に人に心を動かされるということを実感しました。また熱い思いを伝えられる吉成先生や発表者の人たちは,本当にすごいと思いました。そして本当に人権学習に参加できてよかったです。これからもこの学年で,この学年でしかできない人権学習をしていきたいです。

峠は毎日、峠は受験、峠は今、それぞれの峠があることが伝わってきます。

そして、「勉強しなさい」と言われずとも、そのことも分かったうえで自ら動こうとしていることに、みんなで語り合う人権学習の可能性を感じます。

こちらが示さなくても、子どもたちはちゃんと人権学習の意味や得られることを理解していて、本当に馬鹿にできないなと思わせられました。

また、今から卒業後の自分の姿が思い描けていることにも、本当に驚かされます。

他者の意見や考えにふれることで、こんなにも豊かさが広がっていく。そんな人権学習と出会えたよろこびが、子どもたちの発言にあふれていました。

やはり、「語り合う」ことです。

最後に「これから」について話させてもらったうえで、ひとこと言葉を添えました。

この先、どんなことがあっても、絶対にひとりじゃない。そこには必ず、仲間がいると。